おさむの絵日記

   
   
   2024年11月3日
 やっと秋らしくなってきたので、斑鳩の里にある法起寺の三重塔とコスモスを描きました。鉛筆で描くと手がふれて紙が汚れてしまうので、下描きなしでペンで描きました。コスモスは色にも苦労します。持っている絵具ではなかなかピンクの色が出せないんです。色鉛筆を使ったり、赤に不透明水彩の白を混ぜたりしました。後日、ブリリアンピンクやオペラがいいと知ったので、使ってみたいです。
   
   
   
   2024年10月7日
 投稿を掲載してもらった毎日新聞から図書カードが送られてきた。セザンヌの絵のカードで白抜きされたセザンヌのサインが効いている。記念になると思ったので小さな絵にしてみた。
   
   
   
   2024年10月1日
 毎日新聞への投稿掲載では多くの人に拙文を読んでもらい、うれしかった。
想像以上に新聞をとってない人が多く、とっていても読者欄を読んでない人もいた。投稿の写メを送った人で、わざわざ新聞を買いに行ってくれたり、図書館へ読みに行ってくれた人もいた。ある人が「担当者さんのコメントで山中さんの投稿がグッと深まったね」と言ってくれた。
 そんな事を思い出しながらニュージーランドのクライストチャーチ大聖堂を描いた。2011年の地震で被害を受け、修復には多大な費用がかかるので、取り壊しが決まったとか。美しい建物だったので地元の人たちはがっかりされていることだろう。 
   
       
       
   2024年9月26日
22日(日)の毎日新聞の読者投稿欄「みんなの広場」に私の文章が掲載されました。
1ヶ月ほど前に私の若い友人の投稿が載ったのに刺激されて、テーマが「絵」だった
ので投稿したら採用されました。
担当者さんのコメントでも私の事について書いてもらっていますので、合わせて読ん
でください。
   
       
   
   
   2024年9月2日
 9月になって台風の影響か少し暑さがましなような気がする。エアコンをかけずに眠れる夜もある。
 京都で過ごした高校・大学時代によく利用した京都市電と東寺の五重塔を写真を観て描いた。黄土色と緑色の車体が懐かしい。大阪は好きだが今の自分を作ってくれたのは京都だと思っている。絵、ジャズなどに出会ったのも高校生の時だった。
   
   
  2024年8月3日
 体温を超えるような暑い日が続いている。年々暑くなるような気がするので地球温暖化、沸騰化をこのままにしておけばどうなるのかと思ってしまう。猛暑を避けるために外出を控え、家に閉じこもって本と古い映画などで過ごしている。
 最近読んだ本で良かったのは、梶よう子『広重ぶるう』-NHKの同名ドラマ(主演の阿部サダヲが好き)を観て原作を読んでみたくなった。定火消しで錦絵も描いていた安藤重右衛門(広重)がベルリンからやってきたベロ藍(ペルシアンブルー)に出会って・・・という話。佐野眞一『唐牛伝』は60年安保で全学連を率いた唐牛健太郎のその後を追ったドキュメンタリー。NHKの「映像の世紀」でオホーツク海でトド撃ちの船に乗っている彼の姿を見て読みたくなった。47歳で早逝した北海道出身の彼の葬儀には加藤登紀子が駆けつけて「知床旅情」を歌ったそう。
 映画で良かったのは、クリント・イーストウッド監督の「バード」-ジャズプレイヤーのチャーリー・パーカーの半生を描く、渥美清主演の「あゝ声なき友」-戦友の遺書を配達する復員兵、「ロゼッタ」-どん底の生活からなんとか這い上がろうとする少女の姿を手持ちカメラで追う。
   
   
   
   
   2024年7月20日
 梅雨明け前なのに猛暑が続いている。命に関わるような暑さなのでなるべく外出しないようにして身を守っている。
 インターネットで出て来たコマクサと北アルプスの写真を見て描いた。「高山植物の女王」と呼ばれるコマクサは燕岳(つばくろだけ)に登った時に実物を初めて見た。その造形と可憐な色合いに魅せられた。
   
   
   
  2024年7月2日
 就職してから大学時代の仲間と大阪・梅田で年数回麻雀をしていた。卓を囲んでからビールを飲んだり、おろし蕎麦を食べて、帰りには、お初天神近くにある「喜八洲」できんつばを買って帰ったもの。家に帰って風呂に入り、熱いお茶ときんつばを食べるのが好きだった。最近は大阪まで出にくい事もあって拙宅で麻雀会を年1回している。
 この十三の店の前は、近くの映画館に行った時に何度か通ったことがあるが、大きな丸い看板がとても印象的。
   
   
   
   2024年6月9日
 1日にボランティアをしている奈良県ユニセフ協会の「シネマの集い」が開催され、上映中はスタッフも映画を観ていたので、私は独り受付で待機していた。脚が不自由で準備などの作業が出来ないから、それぐらいはと思って毎回やっている。遅れてくる人に対応するためで、その日は4人来られた。
 あと1時間ぐらいで映画が終わる頃に、取材に来ていた奈良新聞の若い記者さんからインタビューを受けた。思いもしなかった事で、しどろもどろになりながらもなんとか応えた。イベントは「グッド・ライ」という映画のおかげで大好評だった。
 5日の奈良新聞に「シネマの集い」の記事が載り、私の名前とインタビューで話した内容も掲載された。                                         毎週聴いているNHKラジオの「高橋源一郎の飛ぶ教室」の京都での公開放送に若い友人のYさんは6倍の抽選に当たって会場で聴いたそうでうらやましかった。内容では歌人の永田和宏さんが亡き妻・歌人の河野裕子とのつき合いについて語った事が印象に残った。京都で大学時代を過ごした2人の話に、同じ京都で学生時代を過ごした私も、当時の事を思い出した。後日、番組の中でも出て来たNHKTVの「あの胸が岬のように遠かった~河野裕子と生きた青春~」を録画していたので再度観る。河野が遺した当時の日記を読む永田。ダスティン・スプリングフィールドが歌う「帰り来ぬ青春」の出だし「Yesterday when I was young The taste of life was sweet As rain upon my tongue・・・」を聴くときと同様のたまらないほどの切なさを感じた。
 庭に咲く紫陽花を描いた。
   
   
   
   2024年6月2日
 昨日はボランティアをしている奈良県ユニセフ協会主催の「シネマの集い」が奈良公園バスターミナルで開催された。私は受付の横でパンフレットやアンケート用紙の入った袋を配る役を務めた。映画は「グッド・ライ」というアフリカ・スーダンで難民になった兄弟たちがアメリカに渡って・・・という内容で、ユニセフの活動にふさわしいもので、観た人のアンケートを読むと「いい映画だった」と思った人が多かったようで良かった。
 この絵はTVの旅番組で観て、描きたいと思ったオランダ・アムステルダム市民劇場。
   
   
   
   2024年5月19日
 昨日、50年振りに大学時代の友人Hと再会できた。彼とはいろんな事を一緒に経験したり、同じ大阪府の教員になったりして共通することも多かったが、年賀状のやりとりだけになっていたので、会いたいと思っていた。
 会った瞬間、50年という時の隔たりを飛び越えて楽しく話が出来た。それぞれ様々な事があったが二人とも一応元気でいるのが何よりだった。私の脚の事を慮って奈良まで来てくれたH、有難う!
 私には是非会いたい人がもう一人いる。高校時代の友人のN。彼は何事も私より一歩も二歩も進んでいて、私が今楽しんでいる絵やジャズなども彼から教えてもらった。ちょっとしたことで音信不通になって長い時が流れたが、再会して「ありがとう」と伝えたい。
 Tさんから頂いたイノダコーヒーを描いた。
   
   
   
  2024年5月1日
 先月描いた桜がうまく描けなかったので、なんとかリベンジしようと、TVの旅番組で観た弘前城の桜がいい感じだったので写真を探すと、岩木山が奥に見えるいいのがあったので描いてみた。弘前は一度訪れた事があって、旧市立図書館などをスケッチして、いい街だなと思った事がある。弘前城のさくら祭りの時期に出向いて百年食堂の蕎麦を食べたり、スケッチしたりしたいもの。
   
   
   
   2024年4月21日
 創刊当初から愛読している雑誌「サライ」に載っていた写真を見て、描いてみた。五重塔はまずまずだと思うが、手前の桜は色づけを失敗したようで桜に見えなくなってしまった。
 昨日は最初に勤めた高槻四中のOBOG会だった。今から50年ほど前に同じ学校に勤めていた人たちが30名ぐらい集まった。私が大学卒業してすぐに赴任した学校だから、ほとんどが年上の人たち。50年振りに再会する先生方もおられて懐かしかった。挨拶では、施設に入っている同期のTさんとの思い出と最初の夏休みにH先生から誘ってもらって穂高に登ったこと、2年目には槍ヶ岳に行ったが、誰も穂先に登ろうとしないので、独りで登り、登った証拠に頂きから持って降りた小石を披露した。
   
   
   
   2024年4月14日
 連れ合いが妹と2泊3日でディズニーシーに出かけた。心配された天気もまずまずで楽しめたよう。
 私は3日間独りで過ごした。外食は一度もせずに食事作りを楽しみ、苦手な猫の世話と洗濯以外の家事を何とかこなした。
 浅草見物土産の老舗店の人形焼を描いてみた。ケーキは描いた事があるが、饅頭は描いたことがない。難しかった。
 先日、4年振りに大学時代の友人3人が拙宅に来てくれ麻雀の卓を囲んだ。みんな色々あるが元気そうだった。
   
   
   
   2024年4月1日
 今日4月1日でまず思い出されるのは、大阪府の教員に採用されて初任校の高槻四中へ行った1975年の4月1日。校長室でお茶が出されたが、急須にフタがなかったことを何故かよく覚えている。次に思い出されるのは、初めての転勤で大東の新設校の諸福中へ行った日。迎えに来てくれた教頭先生に「トイレを済ませておいてください。トイレがまだ使えないので・・・」と言われた。学校に着くとグランドでブルトーザーが整地中だった。大同教へ行った朝も忘れられない。JRに乗っていた時から緊張していて、府教委での挨拶が終わってホッと出来た。
 そんな事を想いながら、随分前から使っているリチャード・ジノリの珈琲カップとピアノの先生が誕生日にくださったスターバックスの珈琲パッケージを描いた。カップは一目見たとたん、すごくほしくなり高価だったが頼んで買ってもらったもの。ちょっと持ちにくいのが難点だがデザインと地の独特の白さが魅力。
   
   
   
  2024年3月15日
 熊本には仕事で何度か行ったことがあり、研修後においしいラーメンを食べて、市電を描いたことがあるが、長崎次郎書店は知らなかったので、初めて描いた。旧城下町の商人町の中心近くにあって、創業140年以上の老舗書店。登録文化財に指定されていて、文豪・森鷗外が『小倉日記』のなかで「書肆の主人長崎次郎を訪ふ」と記している。
   
   
   2024年3月11日
 6日は72歳の誕生日だった。メッセージやプレゼントをもらって、いい日になった。何とか元気に、自分らしく過ごしていきたい。幸い、歩きにくい以外は特に具合の良くないところもなく、薬も飲まずにいられるのは有難い。
 バレンタインデーにもチョコをもらうことが出来た。ピアノの先生から頂いた時には「まさか!?いつもお世話になっているのに・・・」と恐縮した。明後日のレッスン時にお返しのチョコをお渡ししようと用意したチョコのパッケージが美しいので描いてみた。
   
   
   
   
  2024年3月1日
 今日から3月。まだ寒い日もあるが春が近づいている。
 このところ人前でピアノを弾くために練習したり、図書館で借りている数冊の本の返却日が迫っていたりで、小さな絵しか描けていなかった。音楽イベントでのピアノ発表が終わり、本も読み終えたのでちょっと季節外れかもしれないが、雪が降った朝の京都の八坂の塔を描いた。雪景色はほとんど描いたことがないが、とても難しい。
   
   
   2024年2月24日
 17日、D市退職教職員会の音楽イベント「午後のひとときサロン」に、元同僚のMさんとのデュオで「煙が目にしみる」を演奏した。Mさんは大学時代にマンドリンクラブで4年間ベースを弾いていた人。去年の会の帰りの車の中で「来年は一緒にやりましょう!」ということになり、何回か互いの家で練習した。
 演奏の前に私は「去年の会の日は冷たい雨が降っていました。私は『エリーゼのために』を弾いたんですが、終わったらN先生(会のリーダーで昨年急逝された)が「山中さん、ピアノの腕上げたね!」と声をかけてくれました。その言葉を励みに今日は『煙が目にしみる』をやります。この曲は1933年にジェローム・カーンが作曲して、後にプラターズというコーラスグループがヒットさせた曲です。煙というのは煙草の煙かなと思って歌詞を見ると恋の炎の煙なんですね。皆さん、経験があると思いますが。最初はうまくいっているんですが、失恋してしまって煙が目にしみる・・・というわけです。私の好きなアメリカの作家サリンジャーに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』という村上春樹も訳した小説があります。学校を追い出されて冬のニューヨークを彷徨う少年ホールデンがセントラルパークのメリーゴーランドに妹のフィービーが乗っているのを想うシーンがあります。そのメリーゴーランドのバックに流れているのがジャズ風にアレンジされたこの曲なんです。それでは聴いてください」と話した。
   
   
   
   
   2024年2月10日
 6日は47回目の結婚記念日だった。結婚する時、口の悪い先輩から「3年もったらいい」と言われたが、いつの間にか金婚式が近づいて来た。時の流れの速さに驚かされる。久しぶりに2人で「N」へ飲みに行った。シメの焼鯖寿司まで、白和え、明太子の卵焼き、合鴨ロース、鮟鱇の唐揚げ、揚げた海老芋にタレをはったものなど一手間、二手間施されたおまかせ料理に燗酒が進んだ。
 ピアノの先生と連れ合いからもらったチョコレートを描く。
   
   
   
   2024年1月24日
 このところ私と同年代の人の訃報が多い。「私もいつ亡くなってもおかしくない歳になったのか」と改めて思うが、日頃は忘れている。
 八代亜紀が年末に亡くなっていたのには大いに驚いた。演歌は好みではないが、なぜか彼女の歌は好きだった。「寒い夜汽車で膝をたてながら書いたあなたのこの手紙 文字のみだれは線路の軋み 愛の迷いじゃないですか・・・」という「愛の終着駅」を同僚のOさんに教えてもらったのをよく憶えている。     
 彼女は父親が買って来たジュリー・ロンドンのLPを聴いて歌手を志したとか。ジュリー・ロンドンは私の大好きなジャズシンガーだから彼女が私を八代亜紀に出会わせてくれたのかもしれない。
   
   
   
   2024年1月20日
 今年の2枚目は、1枚目に続いてボーリーズ建築の大丸ヴィラ。学生の頃、烏丸丸太町で市電を待っていたりした時に塀のすき間から覗いたりしていたが樹木が多く、その様子をほとんどうかがうことが出来なかった建物。先日放映されたテレビ番組で詳しく紹介されていたので、録画したのを観て描いた。
 今日、図書館でヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』を借りてきた。彼を知ったのは毎日新聞の人生相談コーナー。「楽しみもお金もなく、ごみのような人生が終わり、孤独無援。生きていく気力が全くありません」という61歳の男性の相談に、回答者の作家・高橋源一郎が紹介したのが彼だった。1892年生まれのダーガーは16歳から73歳まで清掃員として働き、友人も家族もなく、小さなアパートの部屋と職場と教会を巡るだけの生活を送り、絶望的な貧困の中、81歳で亡くなる。荷物を捨てるために彼の部屋に入った大家が見つけたのは、ゴミの中にあった世界最長の小説と膨大な挿絵。ダーガーは誰にも知られることなく、自身のために半世紀以上にわたって作品を描き続けていた。画材はゴミ箱から調達して。
 「あなたの人生を意味あるものにすることができるのはあなただけです・・・誰も手助けできません・・・生涯のどこかにあった喜びの一瞬を元手にして、生きる意味を作り上げてゆくしかありません」と高橋源一郎が回答する。
 後日、新聞の投書欄にこの高橋源一郎の回答についての投稿があった。その投稿者は「回答を切り抜いて手帳に入れている・・・私を勇気づけてくれる」と記していた。
 ヘンリー・ダーガーはどんな小説を書き、どんな絵を描いたのか。本を開くのがとても楽しみ。
   
   
   
  2024年1月8日
 今年は暖かで穏やかな年明けだな、と思っていたら、元日の夕方に結構大きな揺れ。長く揺れたので神戸の震災の朝を思い出したほど。能登半島などでは大きな被害が出ているとニュースで知って驚いていると、2日の夜には羽田で飛行事故。なんという正月だと思ってしまう。
 家では年賀状を印刷していた最中にプリンターの廃インクパッドが一杯になって動かなくなった。スキャナーも機能しないので,、修理(1万以上)や買い換えも考えたが友人が自分で修理できる方法を紹介している動画を教えてくれたので、ダメもとでトライしてみたら成功(費用821円)!
 今年1枚目の絵は、神戸女学院の講堂。大好きなボーリーズ建築。何年か前に訪れて別の校舎をスケッチさせてもらったことがあるが、この絵はテレビ番組で紹介されたのを録画して描いた。
   
   
 
2023年12月31日
 今年もこのサイトをご覧頂き、有難うございました。
 今年最後の絵として、秋篠寺についての本を作っている人から依頼のあった秋篠寺本堂をスケッチ。伎芸天や境内の白木蓮を描いたことはありますが、本堂を正面から描いたのは初めてです。
 松前漬を今年も仕込みました。私が生まれた仙台に住んでいた時に両親が教わった料理で、子どもの頃から正月前になると父親が作っていました。スルメ、昆布、人参を細く切り、茹でた大豆と数の子(子どもの頃には入ってなかった)を酒と醤油で漬け込みます。私にとっては、これがないと正月にならない一品。
   
   
 
   
   
   
  2023年12月27日
  今年もあとわずかとなった。この1年を振り返ると、ロシアとウクライナ、そしてパレスチナとイスラエルの戦争など、国内外とも底が抜けたような状況で弱い立場の人たちや子どもたちにしわ寄せがいっている。同世代の人の訃報もよく聞いた。私は、一日も寝込まず、まずまず健康で過ごせた。描く枚数は減ったが絵を描き、ピアノを習い、リハビリとプールにも通えている。去年から始めたユニセフでのボランティア活動では私が推薦した「ブータン山の教室」を上映した「シネマの集い」が好評でうれしかったし、FMCOCOLOの番組で投稿を読まれ、リクエスト曲を流してもらったのも心に残っている。本では『パチンコ』『水車小屋のネネ』、映画では「37seconds」「レ・ミゼラブル(2019年)」が良かった。
 ネットで見つけた札幌にある豊平館の写真を見て描いた。季節外れの桜が咲いているが、少しでも平和で穏やかな新年を迎えたい気持ちを込めた。
   
   
   2023年12月23日
 急に寒くなったと思っていたら明日はクリスマス・イブ。今年も残り少なくなってきた。8日は大学時代からの友人2人が奈良に来てくれて、大皿料理の「K」で忘年会。3人揃うのは1年振り。楽しい店主さんとのやりとりと美味しい料理が楽しみな店だが、その夜は特別に美味しく感じた。食いしん坊の私は鰤大根をお代わりした。2人とは50年以上のつき合いだから話が弾み、あっという間に2時間以上が過ぎた。
 とても寒かった21日には、仕事でご一緒した事のあるTさんと同僚だった先生の息子さんのYさんが奈良に来てくれた。「小料理N」へ行くのは3度目。予約した時間ちょうどにならないと店に入れてもらえないのは「なんで?」と思うが、料理はいい。今回も手の込んだ料理が、最初の白和えから最後の焼鯖寿司まで12品出た。3人に共通するのは本と映画が好きということで、それぞれが今年良かったものを交流。
 脚が不自由な私の事を考えて、奈良まで来てくれる4人には本当に有難いと思う。おかげで2晩ともたっぷり飲んで、食べて、話して、楽しめた。
   
   
   
  2023年11月24日
  先週の大東市退職者会作品展には沢山の方々に来場して頂き、有難うございました。大学時代からの友人、教え子、同僚だった人など懐かしい人に絵を見て頂き、再会も出来て、うれしかったです。「ドイツやオーストラリアに行ったのか」と何人もの方に尋ねられましたが、ドイツ・バンベルク旧市庁舎やメルボルンのフリンダーストリート駅の絵はインターネットの写真を見て描いたものです。京大の人文科学研究所は現地でスケッチし、平戸・田平教会は旅行で訪ねた時に撮った写真を元に描きました。
 千葉には学生時代に何度か行ったことがありますが、銚子電鉄には乗った事がありません。味わいのある外川駅舎と電車の写真が掲載されている本を見て描きました。
   
   
   
   
   2023年11月10日
 4,5年前からオリックスの吉田正尚を応援するようになった。きっかけはTVで観た彼のフルスィングの美しさ。フルスィングするのに三振が少なく、打率も高い。TV中継が少ないオリックスなので、新聞のスポーツ欄で成績を確認していた。しばらくすると宮城というピッチャーもいいと思うようになって注目していたら、パリーグを3連覇するような強いチームになっていった。今シーズンは吉田がメジャーに行ったので宮城や紅林、宗、頓宮や若い投手たちに注目していた。惜しくも日本シリーズ制覇とはならなかったが、とても楽しめたシリーズだった。
 奈良・新薬師寺の十二神将の伐祈羅(バキラ)大将を描いた。
   
   
   
   2023年10月21日
 大阪・法善寺横丁にある割烹「正弁丹吾亭」には大学時代からの友人Yに「大阪らしい店に連れて行って」と頼んで訪れて以来、とても気に入って、落ち着いて話や食事をしたい時に利用していた。中座の火事で被害を受ける前の店には大阪らしさが色濃く残っていて、料理の他にも皿に盛られた大きな鯛の絵の額や年配の女店員さんがチロリで出してくれる燗酒、カウンター内でキビキビと働く調理服姿の若い人の姿などが好きだった。その店が閉店して焼肉屋になっていると聞いてショックを受けた。ある時、店主さんが私の事を「古くからのお客さんやから大切に・・・」と言ってくれていると店員さんから聴いて、とてもうれしく思った事もあった。お店の前にあった織田作之助の『夫婦善哉』の碑はどうなったのだろう。
 京都・河原町のリプトンの角を東に入った木屋町通り近くの蕎麦店「大黒屋」も閉店したと知って驚いた。大学2年の時、YMCAで英会話を一緒に習っていた人に連れられて初めて入り、それ以来50年以上通っていた。蕎麦好きの私を惹きつけたのは蕎麦とつゆの味だけではなく、奥の部屋にあった大きな大黒さんの木彫と吉井勇の「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水の流るる」の歌と俳画のような絵が添えられた額などが醸し出す店の雰囲気とたたずまい。
 大好きだった2つの店がなくなり、寂しい限り。経営者が代わったとか聞いた「イノダコーヒ」は大丈夫だろうか。
   
   
   
  2023年10月13日
  久しぶりに外でスケッチ。先日、連れ合いを矯正展(刑務所の受刑者が作った品物などを販売等する会)に送った時に刑務所の門を見たら描きたくなった。天気も絶好の晴天。ホテルにするための工事中だったが正門は以前と変わらない姿。小6~中3までの4年間毎日この門の前を通っていたし、父親が務めていたので当直の日の夕方には母親が作った弁当を仕事している部屋まで届けたもの。
   
   
   
   2023年10月14日
 FMCOCOLOの「ラジオ・シャングリラ」という番組で、投稿したメールを読んでもらい、リクエストしたジョー・スタッフォードの「Autumn in New York」もかけてもらった。ラジオで投稿が読まれたのは高校生の時の京都放送の桂米朝さんの番組以来。投稿してから3週間ぐらい経って諦めかけていたので、「次は奈良のオサムさん・・・」という声が聞こえてきた時、とても驚き、うれしかった。
 大学時代の友人のお連れ合いさんからの依頼で、彼女に故郷を思い起こさせるという河内長野・市町の風景を描いた。
   
   
   
   2023年9月28日
 秋田へ2泊3日の旅行に行った連れ合いの土産のカステラを描く。袋に描かれた太宰の顔に惹かれた。土産物店でこれを一目見た連れ合いは「きっと描きたいと思うはず」と買ってくれたそう。太宰は青森の津軽の生まれだが・・・。
   
   
   
  2023年9月8日
 W先生に教えてもらった海老沢泰久の『満月空に満月』を読んだ。30年ほど前に出た井上陽水の評伝。デビュー前後のエピソードも面白かったが、「ワンピースを重ね着する・・・」「チェックインは寝顔を見せるだけ・・・」 等の独特な歌詞作りの意図のようなものを知ることができたのが一番の収穫。
 韓国系アメリカ人作家ミン・ジン・リーの『パチンコ』も夢中で読んだ。まだ上しか読めてないが、在日朝鮮人の4世代の話らしい。妻子ある男性の子を妊娠した女性に結婚を申し込む牧師が出てくる。「キリスト教徒は他者のために自分の持ち物を差し出し、時には命さえ投げ出す」という記述を読んだ時には、『塩狩峠』のラストが思い出された。
 何度目かの沖縄旅行の際に国際通り沿いの土産物店に入ると金城次郎さんの作品があった。人間国宝だけあって高額だった。ほしかったが手が出ないので息子さんの敏男さんの抱瓶とぐい飲みを買った。両方ともに描かれている魚に惹かれる。
   
   
   
   2023年8月8日
 Y先生のカレンダーの絵を見るまでは知らなかったバンベルク旧市庁舎。レグニッツ川の中州に1386年に建築され、正面にフレスコ画が描かれ、左側面はハーフティンバー様式でドイツらしい雰囲気が感じられる 川に挟まれたこの建物は、2つの街と橋で結ばれている。細かい枠組みが美しい「ロットマイスターホイスヒェン(伍長の小舎)」を描いていると指が痛くなった。
   
   
   
   長崎の平戸の海を望む高台に建つ田平(たびら)教会を訪れたのは10年ほど前の夏。その時にはスケッチ出来なかったので、連れ合いが撮ってくれた写真を元に描いていたら、対面した時の感動が蘇ってきた。
 この教会は、信者の積立金、募金などと信者の献身的な労働奉仕により1918年に完成。設計は多くの教会建築を手がけてきた鉄川与助で、与助の煉瓦造り教会の最高峰とも言われているそうだ。
 小説家・帚木蓬生が戦国時代から明治初期までの福岡・秋月周辺のキリスト信者たちを描いた『守教』に今村教会にまつわる話が出てくるが、それも与助の作品。一度、訪れてみたいと願っている。
   
   
   
   2023年8月11日
 居間のエアコン交換工事をした時、飾っていた額を外して中を確認。表には日付も場所も記してなかったので裏を見ると「1989年8月3日横岳」と書いてあった。今から34年前に八ヶ岳付近に旅行した際のスケッチとわかったので表にも記しておく。
   
   
   
   2023年7月9日
 今朝の毎日新聞に「ユリの王様」と紹介されていたヤマユリ。昔、箱根の湿生花園で初めて見て小さな絵を描いたことがあったが、もっと大きな紙に描いてみたかったが、なかなか入手できずにいた。白いユリや笹ユリも好きだが、豪華な感じがするヤマユリもいい。
 先週のピアノレッスンで「木蘭の涙」がやっと仕上がった。先生の前で通して弾いたら、先生が拍手してくれはった。友だちに教えてもらってからとても気に入っている曲なので、通して弾けるのがとてもうれしい。
   
   
   
   2023年6月9日
 アストラッド・ジルベルトが亡くなった。彼女のボサノバを聴きながら彼女のLPジャケットを描いた。このアルバムは私が初めて買ったLPレコード。よく聴いたので雑音が入るが今でも聴ける状態。
 ボサノバを生みの親と言われる3人(アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニモウス・ヂ・モライス)のうちの1人であるジルベルトの夫のジョアン・ジルベルトが「イパネマの娘」を録音しようとしていたら、予定していた歌手が来ない。そこで、スタジオにいた妻のアストラッドに歌わせたところ、世界的な大ヒットになったそうだ。あのノンビブラートで歌うハスキーな声に世界中が魅了された。私が一番好きなのは「インセンサティス」で、自分の気持ちに気づいてくれない野暮な男を歌ったナンバー。
   
   
   
   2023年6月4日
昨日は教員になって初めて担当した学年の還暦同窓会。とても素晴らしい子どもたちを3年間担任させてもらい、多くの事を学んだ。13歳と23歳での出会いだったが、今や60歳と71歳。先生の参加は3人とちょっとさみしかったが、生徒は50人以上の参加で、中学卒業以来初めて会う人もいて、とても楽しく懐かしいひとときを過ごす事が出来た。私のテーブルに来て話をしてくれる人もいて、卒業以来の事を教えてもらってうれしかった。昨日の事を思い返しながら、もらった大きな芍薬などの花束を描いた。
   
   
   
   2023年5月14日
気持ちのいい季節にふさわしいような白いバラのアイスバーグをもらったので描い
てみた。その繊細なうつくしさにちょっとでも近づけていたらいいのだが。
   
   
   
   2023年5月9日
テレビの「旅サラダ」に出て来たオーストラリア・メルボルンのフリンダーストリート駅を観て、描いてみたいと思ったので、ネットで気に入った写真を探して描いた。
ゴールデンウィークにはどこにも出かけず、プラモを貸してくれたYくんと美味しい蕎麦を食べに行った。「プラモのお礼におごるわ」と言う私にYくんは「割り勘なら・・・」と応えた。
   
   
   
   2023年4月29日
 Yくんから貸してもらったプラモデルの2台目を描いた。アメリカの多目的地上攻撃機ブロンコ。胴体が2つあるちょっと変わった飛行機。見たことも聞いたこともなかったが描いている間にその美しさに気がついた。
 先日、居間のカーペットに脚をとられて転けた時に右手を痛めた。病院へ行ってレントゲンを撮ってもらうと、幸い骨折はしてなくて、湿布を処方された。右手が使えないと絵が描けないし、ピアノの練習もできないので、しばらく退屈な時間を過ごした。外を歩く時は転けないように気をつけているのだが、家の中は油断するのだろう。
   
   
   
  2023年4月24日
 中学生の頃の遊びは野球とプラモデル作りだった。特に飛行機が好きで、小遣いをもらうと遠い所にある模型店まで出かけたもの。その頃の友だちで、数年前に再会したYくんが今でもプラモデルを作っていると知ったので、絵に描くために貸してもらった。受け取りに行くと「平和主義者の君が戦闘機を描くのか?」と言われたので、「なんでか古い戦闘機が好きやねん」 と応えた。ドイツの名機メッサーシュミットのスマートなボディと翼の形をとるのがとても難しかったが、子どもの頃を思い出しながら楽しく描き上げた。
   
       
   2023年4月11日
 いやなニュースばかりの世の中だが、袴田事件の再審の道が開けたことは久しぶりのいい出来事だった。友人がその事をブログに書いていて、映画「BOX袴田事件命とは」と『裁かれるのは我なり 袴田事件主任裁判官三十九年目の真実』という本を紹介していた。両方とも知らなかったので図書館などで借りた。両方とも、自分の考えに反して死刑判決文を書かざるを得なかった熊本裁判官を描いている。映画では、萩原聖人さんの演技から熊本さんがどれだけ苦しんだかが伝わってきた。本では、苦しみ続けた熊本さんが自殺しようとノルウェーのフィヨルド観光船に乗ったが、自分より先に少年が投身自殺したのをきっかけに、自分が何をすべきなのかを自覚するところが印象に残った。熊本さんは2020年に亡くなるが、2018年に袴田さんと再会している。2人はどんな思いだったのだろう。
 京都にある八坂の塔を初めて見たのは高校1年の時。クラブの先輩の家を訪ねた時に側を通って「こんな所に塔があるのか」と思ったもの。東大路を通ってこの塔を見るたびにその時の事が思い出される。坂道、両側の建物、そして塔と難しいものばかりだが、なんとか描き上げた。
   
       
       
       
   2023年4月1日
 桜が満開の浮見堂へ。外でスケッチするのは去年の11月の京都以来で、なぜか鉛筆を持つ手が震えた。途中で大阪の石切から来たという女性と言葉を交わす。絵を介して見ず知らずの人と話をする楽しさは家で絵を描いていては味わえない。
 ずっと出不精になっていたが、2年振りに映画館で「BLUE GIANT」を観てきた。世界一のジャズサックスプレイヤーをめざす若者の話で、人気漫画のアニメ化。音楽担当が上原ひとみだったので、これは映画館ならではの音を味わいたいと思ったわけ。
   「報道特集」のキャスターをされていた金平茂紀さんの講演を大阪・天満橋まで聴きにも行った。奈良での講演会は人数制限で参加出来なかったので、今回は是非、と思って車で出向いた。「報道特集」の始めに金平さんが話す一言は短いが、寸鉄人を刺すというような鋭さを持っていた。この日の講演内容も期待通りで、ICPがプーチンに逮捕状を出した、石垣島にミサイルが搬入されたという話から始まり、原発政策の犯罪的転換、万博・カジノ構想の恥ずかしさ、五輪誘致のスキャンダルの方が大きいなどと展開された。
   
       
       
   2023年2月28日
 19日の日曜日、D市退職教職員会の音楽イベント「午後のひとときサロン」で「エリーゼのために」を弾いた。3年前の前回も腕が痛くなるぐらい練習して臨んだがボロボロだったので「もう出るのはやめよう」と落ち込んでいたら、元同僚の人がくれた温かいメールに励まされて、またのこのこ出かけた次第。
 今回もあがってしまって何度もミスしたが「止まらずに最後まで弾き通す」という目標はなんとか達成できた。お世話になったY先生が演奏される前に「今日は雨で、どうしようかと思っていたが、山中さんの演奏を聴いて来てよかったと思った・・・」と話してくれはったし、音楽の先生だったNさんが「山中さん、腕上げたね!」と声をかけてくださった。
   
       
       
       
   2023年2月11日
 東京で印象に残っている事が2つある。①用事の合間に3軒ある「やぶ蕎麦」を制覇(ちょっと大げさ)した事。神田、池之端、そして浅草。それぞれに味わいが微妙に違っていて、浅草の蕎麦が一番おいしいと思った。どこの店だったか覚えていないが、海苔を頼んだら海苔が入れられた木箱の下に火のついた小さな炭が入っていて、大阪との文化の違いを感じた。②ある年の春休みに神田のニコライ堂をスケッチして、宿泊していた山の上ホテルの部屋に戻ると、頼んでいないのに、やけどしそうな程熱いほうじ茶がサービスされた。寒い日だったのでとても有難かった。
 原宿には一度だけ行ったことがあって、遠くに見えて原宿駅を「いい建物だな」と思ったのを思い出し、描いてみた。
   
       
       
       
   2023年2月6日
 こないだ年が改まったと思ったらもう2月。立春が過ぎてから春のような陽気が続いているが、また寒さが戻ってくるのだろう。2月にはバレンタインデーがある。最近は連れ合いの妹からもらうだけだが、仕事をしていた時には心優しい卒業生が「先生は誰からもチョコレートをもらえなくてかわいそうだから、持って来たったわ!」と学校帰りに持って来てくれたもの。
 今年は早々に私の好きなゴディバのチョコレートをくれた人がいた。とてもうれしい!
   
       
       
       
   2022年12月24日
 先日、46年前に仲人をしていただいた先輩の先生を訪ねた。3年振りにお会いした先生は少し耳が遠くなってはったがお元気そうだった。奥さんが、私が23年前に出した巻紙の便りを見せてくれはった。北海道旅行に行かれた先生ご夫妻が旅先から送ってくださった蟹のお礼を認めたもの。長い間大切に置いてくださっていた事に感動、感謝。
   
       
       
       
   2022年12月3日
 城崎温泉へ一泊旅行。急にさむくなってきていたので雪がしんぱいだったが、雨が降ったりやんだりで大きな虹を何でも見る事が出来た。宿は3年前にもお世話になった「R」。廊下などが畳敷きでスリッパを履かなくてもいいのが、歩きにくい私にはとても有難い。夕食は刺身、茹で、焼きの蟹づくし。一番美味しいと思うせこ蟹が食べやすいように甲羅に詰め込んだ形で出て、内子もたっぷりで熱燗が進んだ。
 2日目の朝は快晴で冷え込んだが、チェックアウトしてすぐに「一の湯」とその前の大谿(おおたに)川に架かる「王橋」を描く。温泉に入り、美味しい蟹を食べ、スケッチ出来て、いい旅行だった。
 先月、京都でスケッチした帰りの高速で危ない目に遭ったので、慎重に運転。無事帰宅出来て、ホッとした。
   
       
   
     
   2022年11月22日
 18日~20日まで開催されたD市の退職教職員の作品展に水彩画を5点出展。T市のY中で大学卒業後すぐに担当した学年にいたIさん、Hさんをはじめ、懐かしい元生徒や同僚や保護者だった人たちがたくさん来てくださってうれしかった。川西から来てくださったKさんが庭で育てられたという2種類のレモンと柿をくださったので、ガラスの器に盛って描いてみた。
 
     
       
       
  2022年8月28日
 以前描いた伎芸天の顔が納得出来なくて、再度挑戦。水、人間、樹木など描くのが難しいものはたくさんあるが、仏像もとても難しいと思う。

 
    絵を描き始めたある年の秋に京都の三条通りでスケッチしていたら「写真を撮らせてもらっていいですか」と声をかけられた。了解して、後日その写真を送ってもらった。その写真を撮ってくれた大津在住の写真家・中島省三さんの写真集『湖畔通信』が毎日新聞の書評欄に載っているのを見つけ、「オー!」と声を上げた。本は図書館で借りることにしているが、この本は買わなくてはとAmazonに注文。写真はもちろんだが、添えられている中島さんの気取らない文と字にも惹きつけられる。
       
       
       
   2022年8月3日
 奈良・秋篠寺にまつわる子ども向けの冊子を作るから、と伎芸天の
絵を依頼された。2枚の写真を見て描いたがなかなか難しい。秋篠寺
の白木蓮をスケッチするために訪れた時、ほの暗い本堂で伎芸天に
対面したことがあるが、そのたたずまいを描けただろうか。
   
       
   
   2022年7月22日
 14年間ほとんど休まずに参加していたY先生のスケッチ教室を「卒業」することに決めた。
杖を使うようになってからも先生や教室の皆さんに助けて頂いて楽しく絵を描いてきた。156回あった教室で一度も同じポイントがなかったのにはいつも感心していた。最初の回は京都・清水寺で、憧れていたY先生の指導を受けられてとてもうれしかった。先生に「何で描いてはるんですか?」と質問すると「シャープペンシル」という答。絵はB4鉛筆で描くものという思い込みに気づかされたこともよく覚えている。そのシャープペンシルで描けば先生のように描けるかもと思い、翌日先生と同じシャープペンシルを買いに行った。

 Hさんが京都の地ビールを送ってくださった。以前、伏見にスケッチに行った時に黄桜のお店で「飲んでみたいな」と思った事のあるビールだった。細かいデザインのラベルの色をぬるには色鉛筆がいいと思ったが、とても難しかった。
   
   
   
   2022年6月21日
 スケッチ会で京都の三条木屋町を少し下がった所にある旧立誠小学校へ。今はおしゃれなシティホテルになっている。
 軽くないスケッチ道具を入れたリュックを背負って電車で遠出するのは3ヶ月ぶりぐらいなので、身体が慣れるまでとてもしんどかった。京阪三条からタクシーに乗ろうとしたら出口の階段の横にあるエスカレーターが止まっている。汗をかきながら階段をなんとか上がるとまた階段。そこのエスカレーターも止まっている!
 脚が不自由で杖を使っている私にとってエスカレーターは有難い存在。それだけに2つとも止まっていたのには参った。しかもタクシー乗り場が遙か彼方に・・・。
 たどり着いたポイントはとても描きたいと思う所で「来てよかった」と思った。正面玄関、高瀬川にかかる古い橋、桜の木の下に咲く紫陽花が入る構図にする。絵を描き終わったら、この日が誕生日だったKさんがソフトクリームを買ってきてくださった。
 納得出来る絵が描けたうえに親切にしてもらったので、行きしに苦労した事を忘れるほどいい心持ちで、京都駅八条口から近鉄電車で帰ろう、とタクシーに乗った。ベテランのようなドライバーさんが「近鉄に乗るならここです」と言われて降りたら、近鉄の改札口のはるか手前だった!
   
   
   
   
   2022年6月7日
 親戚の家ににお茶の作業の手伝いに出向いた連れ合いに、Tさんが「おさむさんに・・・」と笹ユリをくださった。花言葉は「希少、上品」と自ら笹ユリを育てて、今年も見事な花を咲かせた友人のYさんに教えてもらった。その花言葉通りのたたずまいに魅了される。
   
   
   
   2022年5月3日
 S中学校に勤めていた時に保護者としてよくして頂いたSさんの子どもさんがパン屋さん 「めだかぱん」 (大東市氷野3-7-4 火土休)を開かれたので、お邪魔すると黄色の壁と白いテントが印象的なおしゃれな店だった。パンはとてもおいしく、きっと人気店になると思った。Sさんは最近始められたとは思えない素敵な接客ぶりを発揮されていた。
 その後、絵をかけてもらっている上六にある高津ガーデンとアウィーナ大阪へ。子どもの頃から勉強もスポーツも苦手だったから晴れがましい事とは一生無縁だと思っていたが、こんな事があるなんて。絵を続けてきて良かった。
   
   
 
   2022年4月19日
 スケッチ教室で神戸・灘区にある甲南漬資料館へ。1931年(昭和6年)に建てられた清水栄二設計の旧社長宅。関東大震災後の建物なので、耐震構造になっているのか神戸の震災に耐えたそう。桜は花が少しだけ残っている状態で、絵になりにくいと思ったので「満開」にさせてもらった。天気は良かったが、強い風が時折吹いてスケッチブックが飛ばされたりした。
 講評会は桜の木に隠れている出窓のある喫茶室で。重厚なしつらえの部屋で、床の木組みや窓、鏡などに魅了された。 お土産に瓜の甲南漬けを求めたら駐車料金を割引きにしてくれるなど、店員さんに親切にしてもらった。美味しかった珈琲も廉価で、きっと経営者がすばらしい人なのだろうと感じた。
   
   
   
   2022年3月29日
 リハビリの帰りに市役所の前を通ると桜がほぼ満開になっていた。何故かとても寒い家の中にとじこもっている間に春が来たよう。例年なら、どこの桜をスケッチしようか、とか考えるのだがなんとなくその気になれない。連日テレビで観ているウクライナのニュースの影響だろうか。気分を変えようと、チェコのプラハ城を描いた。
   
   
  2022年3月4日
 今年も中庭の侘助が花をつける時期になってきた。
 あと数日で古希を迎える。小学校の検診(聴診器だけ)で「心臓弁膜症」と言われ、自分は長生き出来ないのかと思い、「僕、早く死ぬの?」と尋ねて母親を困らせたのをよく覚えている。弁膜症は誤診だったようだが病気はよくし、何回も入院した。物が二重に見えたことがあり、大きな病院へ行くと医者が「僕、学校きらいか?」と仮病扱いされたこともあった。今は歩きにくいだけで薬も飲んでいない。この1年も元気に過ごしたい。 
   
   
   
   
   2022年3月2日
 とても寒い日が続いていたたが、やっと暖かくなってきた2月28日に琵琶湖畔にあるなぎさ公園へ。早咲きの菜の花は盛りを過ぎていたが、色は鮮やかで見渡す限り黄色の絨毯。その奥に雪を冠した比良山系の山並み。それらを見ただけでも「来てよかった!」と思えた。14年前にも来てスケッチしたが、風もなくいい天気なので今回も「難しいな」と思いながら鉛筆を握った。
   
       
       
   2022年2月1日
 節分豆と鬼面、でんでん太鼓を描いた。
 もうすぐ立春だが寒い日が続いているので、フリースをやめて昔つれあいが手編みしてくれ
たセーターを着てみると暖かくて軽い。担任していた時に書いていた学級通信に生徒がその
セーターを着た私のイラストを描いてくれたことを思い出した。もう35年以上前のこと。
   
       
   
   
  2022年1月25日
 ♪もうすぐ春ですね~♪
 と歌いたくなるようなピンクのマーガレットを描いたが、とても寒い日が続いている。
 オミクロン株の感染が広がり、奈良も最多を更新する日が多い。通っているリハビリ施設内でも感染者が出て、2回休んだ。プールに行くのも怖いのでもっぱら読書と古い映画等を楽しんでいる。最近観たのは「大砂塵(ペギー・リーが歌うテーマ曲のジョニーギターがいい)」「リストランテの夜」「めし」「アメリカンユートピア」「太陽の子」「鵞鳥湖の夜」。本は森沢明夫の『本が紡いだ五つの奇跡』、瀬戸内寂聴の『場所(高橋源一郎が最高傑作と評した)』、くさばよしみの『ホセ・ムヒカと過ごした8日間』、澤田瞳子の『星落ちて、なお』。
   
   
   
   2022年1月19日
 コロナ感染が拡大中の土曜日、スケッチ教室で大阪の淀屋橋にある芝川ビルへ。感染の危険性があるので参加するか随分迷ったが、風がなく比較的暖かそうなので携帯消毒スプレーを持つなど十分注意して出かけた。雰囲気のあるこのビルを描くのは3回目なのでビルだけではなく、難しいが通りも入るアングルにした。
 この間、ネットの写真を見て絵を描くことを続けていたので、外で描くのは久しぶり。スケッチポイントまで歩いたり、寒かったりするけど、外で描くのはやっぱりいいなぁ、と感じた。
   
       
       
   2022年1月11日
 今年の2枚目に盛岡にある岩手銀行中ノ橋支店を描いた。17年前の夏休みに現地で描いたことがある。とても暑い日で名物のわんこ蕎麦を食べた後に、右手に筆、左手にタオルを持って汗をふきながら描いた。満足出来る絵にならなかったのでいつかまた描いてみたいと思っていた。
 『ホセ・ムヒカと過ごした8日間』という本を読んだ。南米ウルグアイの元大統領で「世界で一番貧しい大統領」と呼ぶ人もいるムヒカさんが日本で行った講演や日本での言動などの記録。
 ネクタイをしないのは「ネクタイより大切な事がある」という考えからで、古いビートルを自ら運転して仕事に向かう大統領が「質素にしている」のは、ちやほやされたり金品が増えたりすると、どんな人でも弱者の苦しみを忘れてしまうからと。
 なるほどと感心する言葉が沢山あったが、「貧しい人とは多くを欲する者のことである」という言葉は「物欲の塊」とそしれられる私にとって耳に痛い言葉だった。
 一番印象に残ったのは、ムヒカ夫妻が日本で何も買わなかったということ。地球の反対側からやって来て、めずらしい物もあっただろうに。まさに言動一致の人。
   
       
   
   
   2021年12月29日
 祖国である南アフリカに、廃棄された車椅子を修理して届けるなどの活動をしているカンサさんへ今年もわずかなカンパを送ったら、カンサさんから手紙と南アフリカの物と思われるスプーンとフォークが送られてきた。手元の所が男女の姿になっている。カンサさんの活動(被災地でのボランティアもされている)もコロナの影響で思うように進んでいないようだ。
 教え子が「ホテルアウィーナ大阪」に行って展示されている私の絵の写真を送ってくれた。隣にもう1枚木版画があって、作者名を見ると若い頃にお世話になったFさんだった。こんな偶然があるのだろうか、と連絡を取り、電話で40分も話した。
 今年は小中の時の友だちと50年ぶりに再会したり、Fさんと話したりできて、忘れられない年になった。
   
         
     2021年12月1日
 大阪府の「いきいき作品展」(退職教職員作品展)に出展していた「大阪・新世界」が上六に
ある高津ガーデン(8階ロビー)に、「フランス・モンサンミシェル」が同じ上六にあるホテルアウ
ィーナ大阪(1階レストラン)に借り上げて頂き、今日から1年間掲示して頂く事になりました。
アウィーナ大阪は46年前に結婚式を挙げた所(当時はなにわ会館という名称でした)です。
 大変名誉な事で、これを励みにこれからも自分らしい絵を描いていきたいと思っています。
   
         
         
       
       
   2021年10月28日
 友だちが興福寺の五重塔が近々修理され10年ぐらいかかるらしい、と教えてくれた。10年後には80歳。生きているか分からない。今のうちにスケッチしとこうと出かけた。
 小春日和の日でとても気持ち良かったが、長年使っているスケッチ用のイスが壊れ、2回も転けてしまった。手の甲を少しすりむいたが、頭を打たなくて良かった。五重塔の中に入れるらしく、観光客や修学旅行生の姿が結構見られた。
   
       
   
   
  2021年9月20日
  1999年のゴールデンウィークにアメリカ東海岸へ人権教育の研修に行った。昼間も夜も講演を聴いたり、ワークショップで学んだ。国連本部やホロコースト博物館なども訪れ、小学校や大学にも行って交流したりもしてとても充実した10日間だった。
 1日だけあった休みに朝からタクシーでメトロポリタン美術館へ出向き、誰もいない部屋でゴッホやドガの絵を楽しみ、念願だったセントラルパークで散歩をした。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んで、セントラルパークを是非訪れたいと思っていた。シープメドウという広場でスケッチもして、そばにあるティファニーの本店で連れ合いへの土産を買い、憧れのニューヨークの街を歩き、多様な肌の色に合わせたカットバンを見つけたりもした。夜には本場のJAZZを楽しもうと、クラブ「スィートバジル」へ行ったが、「それだけではもったいない」とタクシードライバーが世界貿易センタービルへ連れて行ってくれた。最上階の売店で買ったのがこのスノードーム。
 私が好きなイラストレーターの安西水丸の『地球の細道』にこのスノードームと同じもののイラストが載っている。水丸さんがスノードームを集めていたのは知っていたが、同じものを持っているとは。数年前に亡くなった水丸さんの娘さんが水丸さんの絵や好きなもの、暮らしぶり等を綴った『ブルーインク・ストーリー』を読んだ。活字もイラストもブルーで統一されたおしゃれな本だったし、娘さんが水丸さんの事をとても好きだった事が伝わってきた。
   
   
   2021年9月11日
 YouTubeに水彩画の制作過程をアップしている人がいるのを知って、よく見ている。いろんな描き方をしている人がいるが、私が苦手としている樹木や水面への映り込みをどう描いてはるか勉強している。この絵はベルギーのブルージュ。運河を描くのが難しかったが、何事も練習と思って描いた。
 コロナ感染が心配だが運動不足も気になるので2ヶ月ぶりにプールへ。いい天気の日だったのでガラス張りの天井から陽光が射し込み、水中の手のひらの影がゆらいでいた。
   
   
 
 2021年9月7日
 三浦綾子著『塩狩峠』を読んだ。新聞に載っていた大学生の感想文に心を打たれ、読みたくなった。明治40年2月28日に北海道の塩狩峠であった鉄道事故で自分の命を犠牲にして乗客を救った一人のキリスト教者の実話を元にした小説で、泣きながら読んだ。帚木蓬生の『守教』を読んだ時と同様に、信仰をもつ人の勁さを感じた。
絵は旧北海道庁。
   
       



   2021年8月30日
 8月も数日を残すところとなった。この時期になると小学生だったある夏休みの最終日の夜を思い出す。図工の宿題が出来てないのが母親の知るところとなり、夜遅くまでかかって状差しか何かをカステラの木箱を使って半泣きになりながら作ったのだ。宿題をせずに新学期を迎えるような勇気はなかったのだが、その年はどうしたものか、本当に忘れていたのかもしれない。
 教員をしていた時は一番長くて、行事が多く、忙しい2学期が始まるのだと憂鬱になったが、いざ学校が始まると生徒たちの元気さに救われた。今はエアコンがあるので夏休みが短くなり、9月1日を待たずに2学期を迎える所も増えている。コロナ感染が子どもたちにも広がって、学校での対応も難しいだろう。
   
       2021年8月17日
 15日は敗戦の日。父の命日でもある。7年前に95歳で亡くなったが、連れ合い(私の母)に先立たれ、最後の1年ほどは施設や病院で過ごしていたが10年以上元気に独り暮らしをしていた。酒もたばこも嗜まず、麻雀だけを愉しみにしていて、私が生まれた頃に大三元、字一色、四暗刻単騎を上がったことがあると自慢していた。父にはかなわないが、私は国士無双の13面待ちを上がった事がある。
 和歌山の有田にある「あらぎ島」には一度出向いてスケッチしたいと思っていたが、ネットの写真を見て描いた。有田川が蛇行している所にある棚田の形が絵心をそそる。奥に高速道路が通っているようだが省略。建造物がほとんどなく樹木や山、川、田んぼだけなので苦手な画題だが練習だと思って描いた。




       
       2021年8月8日
 亡くなって16年になる母は夏になると鬼灯を口に含んで中身を出し、笛のように吹いていた。幼い頃にそうやって遊んでいたのだろう。私がまねしてやってみてもすぐに皮が破れ、笛にはならなかった。
 その頃、家には一台の扇風機しかなかった。それで家族5人が暑さをしのいでいた。暑がりの私は汗をよくかくので、スヌーピーの漫画に出てくるライナスのようにいつもタオルを持っていた。
 鬼灯を描きながら、そんな事を思い出した。







       
       
   2021年8月3日
 奈良県立美術館でやっているウィリアム・モリス展に行ってきた。モリスは1834年英国生まれ。「モダンデザインの父」と呼ばれるが詩等も書いたりしている才人。
 壁紙が有名だが植物や果実、鳥などを取り入れたデザインは少しも古くさくなく魅了された。展示されていたモリスが新婚時代に住んだというレッドハウスの写真を見て、絵に描きたいと思ったのでネットで探して描いてみた。
   
       2021年5月25日
 大相撲夏場所が終わった。応援している宇良が十両で初優勝。寝屋川出身で親近感があるし、居反りや足取りなどの業師振りが魅力だったが、2度の怪我から復活してきたら見違えるような体格になっていた。きっと相撲が取れない間に筋肉トレーニングを積んだのだろう。来場所は幕内に上がるだろうが、怪我なく活躍してほしい。
 桑名にある六華邸を描いた。鹿鳴館やニコライ堂を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドル(当時23歳 私が尊敬する画家河鍋暁斎の愛弟子でもある)の設計で1913(大正2)年に竣工した和洋折衷の旧諸戸清六邸。
 数回訪れたことがあり、洋館部分のブルーの色とレストランで食べたハマグリが印象に残っている。

       
       2021年4月1日
 先週は中学校時の友人と50年ぶりの再会を果たし、それがきっかけになって、ずっと会いたいと思っていた人たちにも連絡がとれて近々会えることになるなど刺激的な日々を過ごした。
 昨日は黄砂もおさまり風もなく、穏やかな晴天だったので連れ合いと若草山ドライブウェイへ。頂上に行く途中にあるビューポイントで桜と大仏殿をスケッチする。絵の本を再読して覚えていた「見たまま描かなくてもいい」「桜の色は不透明水彩の白に透明水彩の赤を少し混ぜる」を心がけて描いた。
 絵を描きながら、カメラを持ったご夫婦と言葉を交わし、油絵のキャンバスを携えたおじさんとも絵談義を楽しんだ。家でネットの写真を見て絵を描いていたら、こういう楽しさは味わえない。やっぱり外でスケッチするのは楽しいな、と思った。
       
       2021年3月21日
 録画しておいた映画「グラン・プリ」を観た。1966年ジョン・フランケンハイマー監督作品でイブ・モンタン、ジェームズ・ガーナー、三船敏郎(本田宗一郎を彷彿とさせる役柄)などが出ている。世界を転戦するF1レーサーと彼らを取り巻く人間模様を描いている。勿論レースそのものも大迫力で撮っている。CG等がない時代だから迫ってくる映像の力が違った。
 この映画は私にとって忘れられない映画の一本。中学卒業後の春休み、当時住んでいた奈良から梅田の今はなきOS劇場へ出向き、シネラマで観た。近くで叔母が商売をやっていたので寄って小遣いをもらったのかもしれない。
 ひょっとしてパンフレットが残ってないか、と書棚を探すと発見!物持ちの良さ(家族から「物欲の塊」とそしられている)は自覚しているがチケットの半券まであったのには驚いた。3月27日に600円の席で観ていた。
 この映画を観た頃はプラモデル作りに夢中で、好きな飛行機ばかり作っていた。レベル、モノグラム等の箱まで大事にしていた。
       
       2021年3月9日
 6日は誕生日だった。友人や教え子などからお祝いのメッセージをもらった。
 7日は「日曜美術館」で紹介されていた花森安治の展覧会へ。神戸ゆかりの美術館は初めてだったが1時間ほどで着いた。『暮らしの手帖』の編集者を死ぬまでやり(死んだ前々日まで仕事をしていたらしい)、彼の広告を載せない雑誌づくりは真似されていないと本にあった。(私が定期購読している「週刊金曜日」も広告を掲載していないが真似たのだろうか。)
 女性のように髪を伸ばしてスカートをはいていた花森は何を考えてそうしていたのだろう。私は彼が戦争へ突き進んだ男性としての反省と悔恨をそういう形で表現していたのでは、と思っている。
 美術館の中は少ししか人がいなかったので「密」を避けることができたし、ゆっくり見て回ることができた。残念だったのは小倉遊亀などの原稿が読めなかったこと。字が小さいし、暗いし、文が長いのであきらめざるを得ず、絵に集中した。
 昼は連れ合いの希望で「フロインドリーブ」で。ここへ行くのも初めてだったが絵になる建物だったし、クラブハウスサンドイッチなどが美味しかった。付け合わせのマカロニサラダとピクルスも良かった。




       
       2021年3月2日
 換気を充分にやっているので感染の心配が少ないらしいので、1年以上ぶりに映画館へ出向き、「すばらしき世界」を観た。監督が西川美和だし、好きな役所広司、梶芽衣子、六角精児が出ているので観たかった。録画してあった映画「心の旅路」などを家で観るのも良かったがやっぱり映画館で観るのは格別。
 更衣室などでの密に気をつけたら大丈夫と教えてもらったので、今年初めてプールにも行った。陽光が射し込み、水をかく手指の影を美しいと思いながら泳いだ。
 先週の土曜日のように外で絵を描きたいが、調子にのって出歩きすぎるのはよくないと、インターネットの写真を見てポルトガルのリスボンを走る路面電車を描いた。


 





       
       2021年2月23日
 今月のスケッチ教室は大阪城天守閣近くのミライザ大阪城。暖かくなりそうだし、天気も良いので参加したかったが気になる事があった。まずコロナ。大阪は感染者が減少傾向にあるので気をつければ大丈夫と判断。大阪城近くまでは電車とタクシーで行けるが、そこからミライザまで歩くのに不安を感じた。調べるとエレクトリックカーが近くまで行くのがわかりこれも解決。
 ミライザ大阪城は1931年(昭和6年)に府民の寄付で大阪城天守閣とともに第四師団司令部庁舎として建てられた。戦後は大阪市立博物館等として利用され、現在は商業施設となっている。単純そうに見えるが複雑なデザインのファサードを持ち、描きごたえがあった。3歳の女の子が絵を見に来てくれ、楽しく言葉を交わしながら色をぬった。
 ひさしぶりに外で楽しくスケッチ出来てとても気持ちよかった。
       
     2021年1月15日
 年末年始はラジオを聴いていた。大晦日の午後11時から元日の1時まで京都から生放送された「村上ラジオ」。山中伸弥、山極寿一と村上春樹の対談はコロナ禍、政治からゴリラについてまでとても面白かった。元日の「美輪明宏の黄金の時間」は美輪明宏と林真理子の対談。「金」や「老い」についての話は含蓄に富んでいたし、淡谷のり子の「別れのブルース」はとても心にしみる歌声だった。
 毎週愉しみに聴いている高橋源一郎の「飛ぶ教室」は通常より長い放送で瀬戸内寂聴と高橋源一郎の対談もあった。
 今日は松の内が明ける15日。葉がとても元気よく広がっているシクラメンを描く。



     
       2021年1月4日
 寒い年明け。大きな事件などはないようだが、コロナウィルスが猖獗を極めている。政府や自治体の動きがにぶく、仕事や住まいを失った人たちなどの苦しみがわからないのだろうかと怒りが沸いてくる。
 昨年11月雑誌「サライ」に運慶作の円城寺の大日如来のレプリカが紹介されていたので購入。念持仏として自室で毎日拝んでいる。自分は無宗教だと思っていたが、きっかけがあるとよすがとするものを求めるものなのだろうか。







       
       2020年9月24日
 福島に住む教え子が今年も葡萄をたくさん送ってくれた。出会ったのは45年前。大学を卒業してすぐに担当した学年の生徒の一人。教師という仕事の楽しさと難しさ、厳しさを私に教えてくれた学年だった。
 小さな絵にしてから食べるととても味わいのある甘さだった。




       
       2020年9月15日
 パソコンが壊れてしまった。そういう場合にデータを失わないための外付けハードディスクも同時に壊れてしまった。
 そういうわけでサイトを長期間更新出来なかった。その間もアクセスしてくださった方々は「どうしたんだろう?」と不審に思われたかもしれないが、連絡のしようがなかった。やっと両方とも修理でき、データも復旧できたので、今日からまた更新していきたい。
 この絵は上高地の河童橋。今から45年前、教師になって初めての夏休みに先輩のH先生が「穂高に登りに行かへんか」と声をかけてくださった。本格的な登山はしたことがなかったが、ザックと登山靴を兄に借りて、お供した。横尾~涸沢~吊尾根~岳沢というルートで無事上高地へ。
 「上高地は初めて」という私に「じゃあ、一日遊ぼう」とH先生が言ってくださって大正池でボートに乗ったりして「日本にこんないい所があるのか!」と思った。そんな思い出のある上高地の河童橋。もう一度訪ねてみたい。
       
       2020年6月29日
 コロナ禍が一段落?したので日常を少しずつ取り戻している。プールに行き、スケッチ教室でスケッチもした。26日には3ヶ月ぶりに電車に乗って天王寺へ行って、大学時代の友人2人と老舗居酒屋の「明治屋」で飲んだ。阪堺電車の通る道沿いにあった店には何度か行った事があるが、阿倍野のビルの中に入った店は初めて。以前の店と全く同じと言っていいほどの佇まい。カウンターで若い女性が燗酒を独りで呑んでいたが、それが似合う店。出される料理が全て美味しかったが名物の焼売のうまさにすぐに追加注文したぐらい。
 楽しかったその夜の事を思い出しながら大糸線を走るキハ28形と雪の残る北アルプスと田植えしたばかりの田んぼを描く。





       
       2020年6月16日
 昨日行きつけの蕎麦屋「O」さんのご主人が庭で育てた枇杷をたくさん持って来てくださった。不作だったという去年と違って色もきれいでおいしそうだった。
 「O」に初めて行ったのはもう20年以上前。「お勧めは?」と尋ねると「辛味大根蕎麦はいかがですか」と教えてもらった。それ以来、わさびではなく辛味大根を薬味にして食べるこの蕎麦以外は注文したことはない。
 なぜか子どもの頃からざる蕎麦が好きだった。新世界の「更科」、お初天神近くの「瓢亭」の夕霧そば、信州上田の「刀屋」、そして東京の3軒の「藪蕎麦」など美味しい蕎麦屋さんはたくさんあるが、「O」さんが一番だと思っている。
       
       2020年5月31日
 村上春樹の本をを再読していたら、自分にとってかけがえのない思い出は?と考えた。読んでいた本が主人公が高校時代に仲の良かった4人の友人を訪ねる話だったからか、高橋源一郎さんの「人間は自分の未来を、ただ自分の過去だけを材料として作る生き物です。その過去がどれほどみすぼらしいものであっても」という言葉を覚えていたからだろうか。
 恥と後悔ばかりでみすぼらしい私の人生だが、かけがえのない思い出を書きだしてみるといくつかあった。それらが私を励まし、これからの人生の糧になってくれるといいのだが。




       
       2020年5月22日
 拙宅の前の一条通りを西に突き当たった所に東大寺の西の門-転害門(てがいもん)がある。762年建立で国宝。戦乱をくぐりぬけ、奈良時代の建築を保っている。
 小学校6年の4月に大阪市内から奈良に引っ越し、この門の奥にあるT小学校に通った。元々学校嫌いだったし、初めての転校ということもあってなじむのに時間がかかり、楽しいとは言えない学校生活を送った。
 35年後、同じクラスにいたMくんと思わぬ所で再会。その頃、大阪の人権教育研究団体に所属していた私が奈良であった全国的な研究会場で本売場にいるとMくんが声をかけてくれたのだ。面変わりもしていただろうによくわかったと感心すると同時に懐かしさでいっぱいになった。
 後日、酒を酌み交わし、それぞれの来し方を話し合ったが、Mくんは残念なことに何年か前に亡くなってしまった。 2020年5月31日
 
       
       



2020年5月10日
かがやきを さらに青葉にそえてゆく
五月の雨はうつくしと つぶやきたまいし母なりき
コバルトを 川の水面にときながす
五月の空はうつくしと つぶやきたまいし母なりき
やわらかに 夜のわが家をおとずれる
五月の風はうつくしと つぶやきたまいし母なりき

            
  部屋を片付けていたら24年前の5月に
描いた絵が出てきた。
サトウハチローが詠ったような母ではなかっ
たが、逝って15年になる母を思う。
今日、母の日。








       
       2020年5月3日
 コロナウイルスで2月末から家にとじこもっている。もう2ヶ月以上だが感染はおさまらない。アメリカやヨーロッパなどの状況をみるとこれからもっと広がるのではと考えてしまう。
 一番疑問に思うのは、PCR検査数が絞られていること。感染したのでは?と思った人はまず検査してほしい、と思うはず。検査数を増やすと病床がいっぱいになる・・・等というのは管理者の発想で患者の思いを考えていない。韓国や台湾のようになぜ出来ないのだろうか。
 家にいる時間が長いのは悪いことばかりではない。古い映画の良さを再発見したり、自室を片付けたり・・・結構退屈せずに過ごせている。








       
       2020年4月9日
 コロナウィルスに感染しないように、また自分が既に感染しているが発症していないだけということもあるので感染拡大させないように家に閉じこもっていたが、このままでは今年の桜を描く事が出来ない。なんとか出来ないかと考えた。
 法隆寺の近くにある法起寺には車で行けるし、ポイントは畑の中だから、気をつければ誰とも接触しないでスケッチして家に帰って来られるはずと、出かけた。
 この日はちょっと風があったが暖かい晴天で、久しぶりの野外でのスケッチを楽しめた。法起寺の三重塔と満開の桜を見ているだけでも気持ち良かった。
 途中、自転車に乗った人が挨拶してくれたり、ウォーキングしている人が何組か通ったが濃厚接触はなしだった。


       
       2020年3月21日
 スケッチ教室で京都駅近くの旧柳原銀行へ。
 柳原銀行は「1899(明治32)年に町長であった明石民蔵ら地元の有志によって設立されたもので、被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行」(パンフレットより)で、現在は資料館になっている。
 一度訪ねてみたいと思っていたので、少し早く行って資料館を見学。  
 「当時、差別のために資金を得られなかった町内の皮革業者等に融資を行い、産業の育成・振興に大きく貢献したほか、その利子を地元の小学校の運営資金や道路建設資金に充てるなど、自力で差別を撤廃していく模範とされました」(パンフレットより)という貴重な建物は大切に保存されている様子だった。
 この日はとても暖かい日で、柳の新芽が微風に揺れているのが春を感じさせた。
 反省会後、連れ合いと駅ビルにあるデパートの鮨店で待ち合わせし、ビールを飲み、にぎりを味わう。あまり好きではない蛍烏賊のにぎりがびっくりするほど美味しかった。満足して帰宅し、京都の菓子で一番好きな「阿闍梨餅」で緑茶を飲む。
       
       2020年3月18日
 朝、いつもより早く目覚めたら鶯の啼き声が聞こえてきた。すぐそばにいるような感じだったので2階の窓を開けると鶯の姿は見られなかったが、庭に鹿が10頭ほど入って来たところだった。
 ウィルスの影響で観光客が減り、鹿せんべいをもらえないから、空腹でこんな所にまでやってきたのだろうか。庭の草を食み、しばらくすると奈良公園とは反対の方へ去っていった。
 この日は晴天で暖かかったので、昼前に奈良町へ。こないだのスケッチ教室でY先生が描いてはった小塔院の古い門とそれに続く奈良町らしい町並みを描く。
 途中、フランスからという女性2人が話しかけてきた。そのうちの1人がとても日本語がうまいので尋ねると、大阪で13年も暮らしていて「大阪人」だと言っていた。
       
       2020年3月5日
 引っ越される隣家のMさんに絵をあげたいと言う連れ合いが、Mさんも垣根越しに毎年見てくれていた中庭に咲く侘助がいいと手折ってきた。蕾、開きかけ、そして開いている3つの花の具合がいいので開ききらないうちにと急いで描いた。
 日曜日には大学時代の友人3人が我が家に集まり、麻雀卓を囲んだ。もう50年ぐらいの付き合い。みんなそれなりに身体の不具合などを抱えているが元気そうで良かった。よく笑い、よく食べ、よく飲んだ。
 明日の誕生日で68歳になる。歩くのが少し不自由なこと以外は薬も飲まずに元気なのが有り難い。







       
       2020年2月17日
 今月のスケッチ教室は自宅から近い奈良町。先月先生から教えてもらった屋根の角度に気をつけて描く。反省会は「K庵」の茶房で。銘菓とほうじ茶のセットを頼むと、茶葉の入った急須とお湯の入ったポットが出てきた。焼きたての美味しいお菓子と淹れ立ての香ばしいお茶が冷えた身体に染み渡った。
 昨日はD市退職教職員の音楽イベントで、好きなジャズピアニストのトミー・フラナガンもレコーディングしている「With malice toward none」を弾いた。腕が痛くなるぐらい練習して臨んだが、あがってしまって演奏はボロボロ。
 家に帰って落ち込んでいたら、同僚だった人が「ステキな演奏で、ホテルのバーで飲みがら聴いているような・・・」とうれしいメールを届けてくれた。
       
       2020年2月10日
 昨日は友人2人と神戸に住むS宅へ。震災以来だから25年振り。療養中のSは思っていたより元気そうで、4人で楽しい時間を過ごす事が出来た。4人の付き合いはもう50年で、久しぶりに会っても一瞬で大学時代に戻れる。
 暖冬のためかよく花をつけている庭の侘助を描く。







       
       2020年1月18日
 昨日は神戸の震災の日だった。6343人もの人が亡くなった大惨事で、まだ眠っていた6時前に揺れを感じて飛び起きたのをよく覚えている。その週末には、地震の数日前に麻雀の卓を囲んだ神戸に住む友人Sの家へ、同じ友人のYと甲子園から歩いて水などを届けた。
 そんな1月17日だが、1983年のその日に私の人生が大きく動いた。
 仕事から夜遅く帰って風呂から出ようとしたら左脚が動かなかった。入院手術をしてなんとか歩けるようになったが、多くの人たちに迷惑と心配をかけた。
 その後、周りの人たちによくしてもらい定年まで仕事を続けられて幸せだったととても感謝している。
 庭に咲いている水仙を描いていると、そんな事が心に浮かんできた。絵は、脚が動かなくならなければ描いてなかったはず。今の私にとって水彩画はなくてはならないものになっている。
       
       2020年1月5日
 昨日、私が大学卒業後すぐに勤めたT市Y中学校のOB・OG新年会に参加。Y中学には英語科教員として5年間勤めたが、その頃に同じ学校におられた先輩方が18名集合。37年間の教員生活でいくつもの学校に勤めたが、Y中が一番中身が濃く、忙しく、楽しい学校だった。当然一番懐かしく、思い出も多い。
 去年お連れ合いさんを亡くされたA先生の元気な姿が見られたし、同期でよく麻雀したTさんが「Yさん(私のこと)が参加してくれてうれしい」と言ってくれた。Tさんと私が一番若手で、ほとんどが年上の先生のためか、近況報告ではご自分の病気や家族の介護の話が多かった。
 お元気なら参加されていたはずのH先生に教えてもらったシングルモルトのグレンフィディック(美味しい!)と岡山の郷土人形の座り天神を描く。





       
       2019年12月23日
 21日はスケッチ教室で京都の茶わん坂へ。寒さはそれほどでもなかったが、坂道を描くのは難しく苦労したし、清水寺がすぐそばにあるので外国人などの観光客がとても多く、通り過ぎるのを待つことが度々あって時間がかかった。
 脚が少し不自由なので、スケッチに行く時、車で行ける所は車にするが近くに駐車場がなかったり、観光地で満車の可能性が高い場合は電車やタクシーを利用する。この日、京阪の清水五条駅から乗ったタクシーの運転手さんが親切な人で、帰りもタクシーに乗りたいと話すと迎えに来てもらえ、とても有り難かった。


       
       2019年12月13日
 ある日、家の近くの奈良女子大の前を通ると正門わきの楓が輝いていたので、翌日名残の紅葉を描きに出向いた。正門前にあるベンチは陰になっていて寒かったが、先日購入した熱線ベスト(かなりの優れもの)を着ると快適で、気持ち良くスケッチできた。
 望月衣朔子著『新聞記者』を読み、映画化されたものも観た。両方とも良かったので、森達也監督が望月記者を追ったドキュメンタリー映画「i 新聞記者」も観に行った。
 菅官房長官の記者会見で独り食い下がり、取材妨害とも果敢に闘う望月記者の姿を見ていると身体が熱くなった。



       
       2019年12月9日
 今年も残りを数える時期になってきた。毎年春には筍、年末には野菜を届けてくださるSさん夫妻だが、今年もどっさり手作りの野菜-大根、小芋、白菜、くわい、キウィなどを持って来てくださった。帰られる時に「絵に描いて!」と声をかけてもらったのでくわいを信楽焼の器に入れて描いてみる。
 先週の金曜日は友人2人との忘年会。大阪・道頓堀でふぐを食べた。ふぐとはあまり縁がないがとても美味しかったし、値段がリーズナブルだった。いつも通りに最近読んだ本の話などで盛り上がり楽しく過ごして外に出ると、すごい人波に驚く。杖をついている私など吹っ飛ばされそうで、2人に左右を守ってもらって歩いたほど。




       
       2019年12月7日
 南アフリカでアパルトヘイトを経験した後に渡日し、詩集を出したり英会話学校の講師をしながら、壊れたり捨てられたりしている車椅子等を修理して祖国へ送っているトーマス・カンサさんに出会ったのはもう20年ぐらい前。H中学校の人権クラブでワークショップをしてもらい、その人間力に惹きつけられた。
 それ以来、彼の活動を応援するために毎年わずかな「気持ち」とカレンダーを届けている。今年も届けたらカンサさんから南アフリカの手彫りのコースターが送られてきた。左の容器に5枚入っていて動物などがレリーフ状に彫られている。
 英文の手紙と彼が支援している祖国の少女2人が写っている写真も同封されていた。その笑顔を見ていると涙が出てきた。
       
      2019年11月27日
 35年前に担任したNくんが奈良に来てくれた。日本酒が好きとうれしい事を言うので奈良町のお気に入りの店で豊祝、春鹿を燗で4合も飲んでしまった。いろんな話をしたが、以前会った時に私が「文を書いたらいいのでは」と言ったのをきっかけに文章修行をしていると聞き、驚く。
 昨日は京都でやっている「円山応挙展」へ。長年見たいと思っていた「郭子儀図」は「孔雀松図」と共に会場入口近くにあって、もうそれだけで満足してしまうぐらい。巻物のような紙にたくさんの鳥が描かれているのにも瞠目。あの写実の技には実物以上の気を感じさせられた。
 Y先生のグループ展が開かれている寺町のギャラリーへも出向く。自分の描きたいような絵を描けるようになってきたのも10年以上指導してもらっている先生のおかげ。
 「イノダ本店」でビーフカツサンドを食べる。池波正太郎が東京へ帰る新幹線内で食べるためにテイクアウトしたというから味は折り紙付き。珈琲-アラビアの真珠もいつも以上に味わいがあった。
       
       2019年9月12日
 猛暑が長引いていたが、やっと秋の気配が感じられるようになった。
 連れ合いが「描いたら」と持って来てくれたガーベラを描く。花は知っているが葉っぱがついているガーベラは初めて見た。
 10年ほどリハビリを受けていた診療所が外来リハビリを止めることになった。デイサービスでなら今までのようにリハビリを受けられるらしいので、必要な介護申請をする。調査を受けて、「要支援1」と判定された。介護保険証が届いた時には「まだだいぶ先やな」と思っていたが2年後に使うことになった。
 昨日はその1回目で、信頼している療法士のSさんがつきっきりでリハビリをしてくれた。それが今までの倍以上のメニュー。終わったらヘトヘトになったがSさんが私のために考えてくれたメニューなのでとても有り難かった。
       
         2019年8月17日
 今月のスケッチ教室は暑さを避けて肥後橋の教室で。持参した顔の写真をデホルメして描くというのが課題。絵を描くなら好きな女性がいいので、鈴木京香、山口百恵、コン・リー(中国の女優)などを考えたが、描きやすそうなグレース・ケリーにする。
 写真にマス目を引き、水彩画用紙にもデホルメしやすいように縦長の湾曲したマス目を引いて描いた。
 グレース・ケリーに怒られるような絵になったかもしれないが、ちょっとモジリアーニ風で気に入っている。

         
2019年6月1日
 先週の土曜日、習っているピアノの発表会に出た。ビリー・ホリディの伴奏者として有名なマル・ウォルドロン作曲のジャズの名曲レフト・アローンを憧れのジャズピアノトリオ編成で。
 リハーサルでは自分でもびっくりするほどうまく弾けたのだが肝心の本番ではあがってしまったのか何度も間違ってしまった。
2019年5月19日
 昨日、スケッチ教室で京都・大山崎にある聴竹居(重要文化財)へ。話には聴いていたが訪れるのは初めて。藤井厚二という建築家が90年前に立てた「環境共生住宅」。
 めざす建物は、JR山崎駅近くの踏切を渡って坂を登っていくと木立の中に。説明によると、家族5人が夏涼しく、冬暖かく過ごすため等の様々な工夫がなされていてとても感心。説明の前においしい弁当も頂いたので、もう絵を描かなくてもいいという気分になるほど満足できた。
 スケッチは大きな木と縁側のガラス戸の向こうに天王山が見える庭から。


2019年4月19日
 今年もSさん夫妻が筍を持って来てくださった。その朝に掘り出してくださったもので有難く頂く。若竹煮、筍ご飯...と食欲が先走るが、茹でる前に小さな絵にする。
 昨日は神戸でやっている河鍋暁斎展へ。Eテレの「日曜美術館」で紹介されているのを見て、是非原画を見たいと思っていたが、記念美術館のある埼玉は遠い。何年か前に京都でやっていた展覧会は不満が残ったが、今回のは質、量とも良かった。特に下絵と絵日記が見られたのがうれしかった。あの大胆かつ繊細な絵がどのように生み出されたのか、その一端を知る事が出来た。
 昼は長田にある「元祖平壌冷麺」。初めて食べたが透明なスープは薄味だが味わいがあり、麺も歯ごたえが十分で美味しかった。
2019年4月13日
 1月のスケッチ教室を欠席されたSさんが「小学校の遠足で行った所だから是非描きたい」と京都から出て来はったので一緒にスケッチ。
 修学旅行生や外国人観光客で混雑していたし、少し寒かったが晴天で気持ち良く描けた。
 Sさんは私より大部年上だが最初にお会いした時から注目した。それは私と同じパパス愛好者でうまく着こなされているから。
 釜上げうどんで暖をとり、若草山ドライブウェイから桜と大仏殿の絶景を楽しみ、喫茶店でゆっくり話。





2019年3月28日
 昨日は暖かい晴天だったので、久しぶりに二月堂裏参道へ。
 白木蓮が咲いているのを陽射しを浴びながら見ているだけでもいい気持ちになれた。このポイントは奈良で一番好きな場所で、今までで一番多くスケッチしている所。
 そろそろ色をぬろうかと思っていると、朝6時半に栃木の家を出て来たというおじさんがすぐ後ろに陣取って油絵を描き始めはった。去年も来られたそうで、そこまでしてでも描きたくなる場所なんだと納得。





2019年2月25日
 D市退職教職員会の音楽イベント「午後のひとときサロン」でジャズの名曲「レフト・アローン」を弾いた。
 急に家族が入院することになったので大幅に遅刻したが順番を調整してもらい参加できた。
 十分練習してきたつもりだが何度も間違ったり止まったりしてしまった。それでも部分的にジャズらしく弾けたところもあったので楽しかった。






2019年2月18日
 連れ合いがなじみの花屋さんで買い物したらプレゼントされたという2本のバラを描く。難しいのでやめようかと思ったが、何事も練習と描いてみる。
 朝起きた時に、今日はあの本を読もう、と読みたい本があると一日幸せのように感じるが、今年はいい本の当たり年のようで、読む本読む本がすばらしい。なかでも辻原登の『不意撃』と乙川優三郎の『この地上において私たちを満足させるもの』がとても良かった。


2019年2月9日
 連れ合いが水仙を見に行った淡路島の土産として買って来てくれた丸干を描く。スーパーのはプラスチックの容器に入っているがこれは藁でつながれているので絵になると思った。
 少し不自由な脚のリハビリになると思って水泳を始めて2年と9ヶ月。週1回通っているプールは自宅から車で15分ほどの所にある。奈良市営で障害者向けの教室。無料なのが年金生活者には有り難く、インストラクターさんが指導もしてくれる。一緒泳いでいる人たち(独りで車椅子に乗って通って来る人もいる)と話すことも楽しみだし、教えられることもある。
 昨日、通うまで全く出来なかったクロールで100m泳げた。「よくがんばったね!」と誰かに頭をなでてほしい気がする。






 
2018年1月22日
 子どもの頃からの映画好き。脚が不自由になってからはレンタルで観ることが多い。シネコンは客席が階段になっていて、手すりもない所が多いので行きにくいから。でも、これという映画は映画館で観るようにしている。
 「ボヘミヤンラプソディー」もそういう作品で映画館へ出向いた。クイーンのリードボーカル フレディ・マーキュリーの栄光と苦悩が彼の歌声とともに迫ってくるような映画だった。
 もう一本気になる映画があった。「こんな夜更けにバナナかよ」だ。筋ジスで車椅子生活をしている主人公鹿野とボランティアたちの話。重度の障害者をどう描くのかとても興味があったからレンタルになるまで待てなかった。
 鹿野はボランティアによって24時間休みなしに支えられているが、実はボランティアたちも鹿野によって支えられているのをうまく映像化していた。ジャズシンガーの綾戸智恵が鹿野の母親役で存在感を示していたのも良かった。
 2本の映画を思い出しながらムスカリを描く。
2018年12月27日
 去年はクリスマスに北村英治さんのライブに出向き、コースターの裏にしたスケッチにサインしてもらえた。今年は同じホテルのジャズバーへ宇崎竜童さんの弾き語りライブへ出向いた。
 高槻ジャズストリートで「中国行きのスローボート」など、何度かその歌声を聴き、ダウンタンブギブギバンドととは違う魅力を感じたから楽しみにしていた。
 「港のヨーコ、ヨコハマヨコスカ」から始まり、好きな山口百恵のナンバーもやってくれた。デビュー曲という「知らず知らずのうちに」がしっとりしていて気に入った。
 帰りにエレベーターを降りるとステージが終わったばかりの宇崎さんとバッタリ。サインをもらうチャンスだったが、会場が暗すぎてスケッチ出来なかったので残念だった。

2018年12月18日
 16日の日曜日、Dくんの水彩画レッスンで、11月3日に鉛筆描きした遣唐使船の色を塗った。この日はとても寒かったので私の部屋で実施。Dくんはいつも通り2時間ほど集中して取り組んでくれた。アドバイスしながら私も色を塗る。
 Sさんから大きな白菜を頂いたので白菜漬けを作った。半日陽に干し、塩、昆布、昆布茶、鷹の爪で漬け込む。数日後に食べてみるとスーパーで買う物とは違う素朴な味わいで美味かった。

2018年12月9日
 東京に住んでいる連れ合いの友人は毎年年末にプレゼントを贈ってくれる。大の猫好きだそうで、猫に関わるグッズが必ず入っている。
 今年のプレゼントの箱の中には猫のクリスマスツリーがあった。
 ツリーの枝に様々なかっこうでぶらさがっている猫を描きながら今年2月に亡くなったミーちゃん(我が家の飼い猫)を思い出していた。






2018年11月28日
 スケッチの先輩お二人と奈良市中心部から柳生に向かう途中にある円成寺へ。
 池のむこうにある石段と楼門、紅葉を描く。物音がまったくしない静寂の世界。時折参拝する人が訪れていた。国宝である快慶の初期の傑作大日如来に招かれてか。








2018年11月26日
 ホテルになるため最後の公開イベントが開催されている旧奈良少年刑務所へ。
 門は何度も描いた事があるが内部の建物をスケッチした事がなかったので、問い合わせるとスケッチ可との事だったので出かけるとものすごい人。
 私が小学生の頃、父親がこの刑務所に勤めていたので、宿直する父親に弁当を届けにこの建物の中に入って行ったことなどを思い出しながら描く。
 「すごーい!」「絵を写真に撮ってもいいですか?」などと何人もの人に声をかけてもらう。




2018年11月3日
 中学2年生のDくんと平城京跡・朱雀門ひろばで、復元された遣唐使船を描く。秋晴れで暑いぐらいの陽気。Dくんにアドバイスしながら私も鉛筆描きを進める。色塗りは来月の予定。
 先週、京都でやっている藤田嗣治展に行って来た。乳白色の裸婦もいいが、猫を抱いた自画像や静物、パリの風景などもゆっくり楽しめ満足出来た。
 昼は河原町今出川の商店街にある「M」で、鯖寿司とうどんのセットを食べた。初めて訪れた店だがとても良かった。雑誌で写真を見た時に「この鯖寿司は美味しい!」と働いた食い意地の感に間違いはなかった。
2018年10月18日
 いつの間にか朝晩は肌寒さを感じるようになってきた。
 連れ合いが買ってきてくれたコスモスを描く。秋を代表する花だから何度も描いたことがあるが、あのピンクの色を出すのにいつも苦労する。今回は黄色なのでなんとかなったかな。
 最近読んだ本-①姫野カオルコ著『彼女は頭が悪いから』実際にあった東大生による集団レイプ事件をヒントにした小説。学歴社会の歪みとSNSの怖さを実感させる。②原田マハ著『リーチ先生』柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎らと共に民芸運動に関わったイギリス人のバーナード・リーチと助手の亀ちゃんを描く。ピカソの「ゲルニカ」、ルソーの「夢」など画家とその作品に関わる小説が多い著者だがこの本では陶芸を取り上げていて、私の好きな富本憲吉も出てくる。

2018年10月8日
 昨日、私の住まいもある「奈良きたまちスケッチ大会」に参加。去年は雨で中止になったし、今年も台風のために実施が一週間延びたが、この日は良すぎるぐらいの天気で奈良女子大正門前のベンチに座っていると汗をかくほどだった。
 正門と奥に見える記念館を描いていると和服を着た上品な白髪の女性が「卒業生なんですが写真を撮りたい・・・」と警備員さんに話しかけてはった。母校の様子に何を思ってはるのだろう、と思いながら筆を進めた。
 交流会では参加者それぞれの作品の紹介などがあって楽しかった。20年ぐらい前に参加していたK先生の教室で一緒だったSさんとも久しぶりに会えた。
2018年9月7日
 昨日、琵琶湖東岸沿いにある佐川美術館へ田中一村展を見に出かけた。奄美大島の自然を描いた一村はそんなに有名ではないと思っていたが、NHKの「日曜美術館」で紹介されたためか平日なのにすごい人。
 一村は多様な描き方を駆使していたようだが植物の葉、一葉一葉がとても活き活きと描かれていたのが印象に残った。特に、第2会場入ってすぐの所に展示されていた「白い花」が気に入った。
 「来て良かった」と満足して、美術館に行く前に予約しておいた「たねや玻璃絵館」のケーキバイキングに連れ合いのお供で出向く。90分間ケーキ食べ放題だが、そんなに食べられるものではなく、後半は絵を描いて過ごした。




2018年8月6日
 毎日命に関わるような暑さが続いていて外でのスケッチができないから、スケッチ教室のメンバーであるOさんから頂いたノイシュバインシュタイン城の写真を見て描く。この城を描くのは2回目だが今回は山や湖、紅葉した樹木もあって描いていて楽しかった。

 一番好きな映画は?と尋ねられたら「007ロシアより愛をこめて」と答えるが、その次は?となると、いろんな映画が浮かんでくる。そのうちの一つである「おもいでの夏」をレンタルして観た。アメリカの少年のある夏の経験を描いた映画だが、夫を戦争で亡くすドロシーを演じたジェニファー・オニールとミシェル・ルグランのテーマ音楽の素晴らしさを再認識。大学生の時に京都河原町の映画館で観た時の胸の痛みというか何とも言えない心持ちが蘇った。
2018年7月17日
 脚のリハビリに通っているK診療所では2人の女性スタッフにお世話になっている。お二人とも腕は確かで、私の脚が悪化せずに現状を保てているのはそのおかげと感謝している。
 お酒が好きで話していて楽しいSさん。もう一人のMさんが大型バイクに乗っているのは最近知った。駐車場に駐めてあったMさんのアメリカンスタイルのバイクをスケッチさせてもらう。











2018年7月12日
 先週の土曜日、私が大学卒業後すぐに受け持ち、1年~3年まで担任した最も思い出深い教え子たちとの同窓会に参加。当時、私は英語の授業でビートルズの歌を取り上げていた。それをきっかけに今もビートルズを聴いていて、ポールのコンサートにも行ったとU君が話してくれた。卒業以来初めて会った人が何人もいて、楽しい時間があっと言う間に過ぎていった。
 京都へスケッチに行きたいが35度以上の暑さが続いているので写真を見て京都国立博物館明治古都館を描く。





2018年7月6日
 6月18日の地震には驚いた。朝食中だったが思わずテーブルの下に入った。震源地は5年間勤めたことのある高槻だった。知人、友人たちに大きな被害がなかったが、続いての大雨で屋根などに被害があった方々はさぞや困ってはることだろう。早く止んでほしい。
 明日は大学卒業後、すぐに勤めた高槻Y中の同窓会で、懐かしい教え子たちやお世話になった先生方に会えるのがとても楽しみ。
 このところ暑いのでスケッチ出来てなかったので絵を描きたい気持ちが募ってきた。何か描く物がないかと探し、本棚に飾ってある沖縄で求めた酒器を描く。
2018年6月17日
 昨日、スケッチ教室で神戸・北野へ。異人館通りにある英国館を描く。こういう古くて美しい西洋建築を描くのが一番好きなので、以前から一度描きたいと思っていた。
 梅雨の晴れ間で太陽が照っていたが、案内所の女性に許可してもらい、庇の陰に座らせてもらう。観光スポットだから人が多いが、異人館を巡るのに夢中な様子で話しかけてくる人は少ない。
 トイレに行きたくなったが近くに無いらしく、困っていると案内所の女性が英国館の人に口添えをしてくださり、借りる事が出来きとても有難かった。



2018年5月20日
 スケッチ教室で大阪市住之江区にある加賀屋新田会所跡へ。地元の人にもあまりなじみがない施設らしかったが手入れが行き届いたいい所だった。  加賀屋新田は両替商だった加賀屋甚兵衛が18世紀半ばに開発したもので、この会所は1500坪弱の広大な敷地に小堀遠州風の庭園や書院、茶室などを構えている。
 ほとんどのメンバーは庭園の方で描かれたようだが、私は冠木門(かぶきもん)を見たとたん、ここで描きたいと思った。
 京都・大徳寺から拝領の瓦を模したという瓦と「古見堂(古きをたずねて新しきを知る)」と書かれた扁額、節が見られる二本の柱などに惹かれたから。書院に続く道の角度が難しかった。


2018年4月13日
 絵や建築物等を紹介する「美の巨人たち」を欠かさず観ている。内容もいいが、高校で同じクラブにいた小林薫がナレーターをしているのも観る理由。あの声を聞くと疏水沿いの高校に通っていた頃が自然と思い出される。
 その番組で奈良・東大寺をやっていたので、録画して大仏殿を描いた。
 今日、雑誌「サライ」5月号が送られてきた。投稿した北村英治さんを描いた絵がP112に掲載されている。






2018年4月9日
 そろそろ桜も終わりなので、名残の桜を描きに出かけたいが天気がはっきりしないし、寒の戻りというのか寒い。
 そういうことで雑誌「サライ」に載っている写真を見て、長野の大町市にある須沼の一本桜を描く。地元では「田打ち桜」と呼ばれ、農作業の目安にされているそうだ。雪を残す北アルプスをバックにした姿を現地で描きたいものだ。





2018年3月26日
 昨日、若い友人のYさんとカトリック豊中教会をスケッチ。桜が咲き出し、暖かい日で気持ち良かった。
 設計は聖路加病院なども手がけたチェコスロバキアの建築技師ヤン・ヨセフ・スワガーで、彼の日本での最後の作品。第2次大戦の直前のもので外観や内部の格天井など、和風や中欧など様々な雰囲気を感じさせる。
 通りかかられた神父さんが「いい絵を描いてください」と声をかけてくださった。









2018年3月13日
 久しぶりに京都に出て文化博物館でやっているターナー展へ。ターナーも使っていたという絵の具を使い、映画も観たが原画を観るのは初めて。風景や人物の繊細な描写に瞠目。カメラのない時代、荒れる海の様子をどうやって描いたのだろうと思った。
 館内の元金庫室にある前田珈琲店で昼食。沢野ひとしが京都に行ったら必ず食べると書いていたイギリスパンセットはなかったがサンドウィッチ、珈琲とも美味しかった。 
 連れ合いが周辺をぶらぶらする間、ずっと描きたいと思っていたアールデコ建築の旧大阪毎日新聞京都支社(武田五一設計、1928年竣工)をスケッチ。今は色んな店が入っているおしゃれなビルになっているが、星形のマークが当時を偲ばせる。大学時代、三条通りのこのビルの前を通ってすぐ近くにあるYMCAの英会話教室に通っていたので懐かしく、いろんなことを思い出しながら描いた。
 新京極のメンズショップ「イノハナ」がなくなっていると連れ合いから聞き、ショックを受ける。高校時代の憧れの店で、そこの紙袋を持っているだけで羨ましがられるような存在だったが、私はウィンドウに飾られているセーターやシャツなどを指をくわえて見ているだけだった。働くようになってその店で購入したウィンドブレイカーなど何点かは今も愛用している。





2018年3月10日
 連れ合いが買ってきたマーガレットをオリーブオイルが入っていたガラス瓶に入れて描いてみる。
 明日は東北の震災の日。7年前のあの時刻の事はよく覚えている。F小学校の職員室に座っていると大きな揺れ。学校放送で校庭への避難を指示。先生方と相談して集団下校させた。
 現在も3万人もの人が仮設住宅に住まいし、その内13000人がプレハブ。報道によると福島原発の廃炉は進んでいないし、見通しもたってないよう。それなのに原発を再稼働させ、何かあったら政府が請け負うという約束までして他国へ原発を売り込むとは!
 実際にあったことを無かったかのように、小さなモノだったように見せようとする動きが日本で広がっている気がする。







2018年3月6日
 66歳の誕生日。友人や教え子らから沢山のメッセージをもらいうれしかった。
 ついこないだ定年退職したつもりなのに、もう6年も経ったのかというのが実感。歩きにくい以外は一応健康で、リハビリと水泳で少しでも歩きやすくなるように努力している。あとは月数回の中学校での学習支援、スケッチ、ジャズピアノなどで過ごしている。心配な事もあるが自分らしさを大事にして過ごしていきたい。
 BSの「日本百名山」の水晶岳を観ていると、鏡池からの風景が素晴らしかったので小さな絵にする。


2018年2月18日
 昨夜遅くに猫のミーが死んだ。一ヶ月ほど調子が悪く、点滴を受けたりしていたが昨日は呼吸をするのもしんどそうで見ているのが辛かった。7年前に捨てられているのを連れて帰ってきた次男がちょうど来ていて、それを待っていたように逝った。
 子どもの頃の出来事がトラウマになって猫は苦手だったが、いつの間にかなじんだ。自室のドアを叩き、開けてやるとソファーに座ったり、本を読んでいる私の膝の上から動かなかったりした。心が沈んでいる時に限って膝に乗ってくることが多く、癒やされたものだ。
 そんな事を思い出しながら中庭に咲き始めた侘助を描く。










2018年1月29日
 大相撲1月場所はファンである宇良が休場でさみしかったが、平幕の栃ノ心が優勝したのはうれしかった。
 グルジアから来日した時にはグルジア語の辞書もなかったというから苦労したことだろう。また膝の大けがで幕下下位まで番付を下げたこともあった。何度も辞めようとも思ったそうだが復活してきたその姿を見て応援していた。
 インタビューでは親方への感謝の言葉を繰り返し述べていた。彼の締め込みは親方が現役の時に使っていたもの。そういう所にも彼の人間性が表れている気がする。
 Mさんがフェイスブックに、栃ノ心はゴルゴ13のデューク東郷によく似ていると書いてはった。気がつかなかったがそういえば目、眉毛、鼻筋などよく似ている。ゴルゴ13のように無敵な存在になるのだろうか。
 厳しい寒さの中、庭に咲く水仙を描く。











2018年1月9日
 7日、私が最初に勤めたT市立第四中学校のOB・OG会に10年ぶりぐらいに参加。懐かしい先生方が20名ほど集まった。近況報告のために私は一枚の学級通信を持って行った。
 40年前のある日、授業を終えて職員室に戻ってきた私の机上にその日配った学級通信が置かれていて、ある先生の私に対する励ましとアドバイスのメモが貼り付けてあった。
 生意気なだけで何も知らかった私はその学校での5年間で沢山の事を多くの先生方から教えてもらった。
 その証拠みたいなそのメモを紹介して「この場におられる先生がこのメモを書いてくださったのです。憶えてはりますか?」と尋ねても皆顔を見合わせるばかり。
 「T先生です!」と告げると少し離れた所に座られていたT先生の目から涙が流れた。










2018年1月2日
 穏やかな年明け。外でスケッチしたいが、寒いので40年以上前に金沢で購入した加賀人形を描く。確か五木寛之の『内灘夫人』を読んで金沢に行きたいと一人で出かけたはず。内灘海岸のニセアカシヤ並木と弾薬庫跡が思い出される。
 正月の食べ物といえば松前漬け。亡き両親がずっと作っていたものを引き継いだというか自分が食べたいので毎年末に作っている。するめ、昆布、にんじんを細く切り(これが大変で指と肩が痛くなる)、大豆を茹で醤油と酒を入れて漬け込み、最後に数の子を混ぜる。松前というから北海道の料理だろうが、両親は私が生まれた仙台にいた時に覚えたのだろう。
 ある人の年賀状に「明珠在掌」という言葉があった。調べてみると、禅語で「明珠」とは非常に価値のあるもの。それはもうすでにあなたの手の平(掌)に在る。真に大切なものは、どこか遠くに探すものではなく自分の手の中にある、という意味らしい。「物欲の塊」と家族からそしられることの多い私には噛みしめるべき言葉かもしれない。
2017年12月24日
 昨夜、奈良市内のホテルであったジャズクラリネットの第一人者である北村英治カルテットのライブへ連れ合いと出向いた。聴きたいと思っていた「メモリーズオブユー」「ムーンライトセレナーデ」などのスタンダードナンバーも良かったが、ビールを飲んで少し酔った私の心に沁みたのは、ザ・ピーナッツが歌ってヒットした「小さな花」。スローテンポでの演奏に癒された。
 合間にコースターの裏に演奏中の北村さんをスケッチしたので、ステージから降りて来はった時に見てもらうと、喜んでくれはった。その場でサインをしてもらい、握手もしていただいき、思わぬクリスマスプレゼントをもらったような気分になった。







2017年10月31日
28日のM中学校1期生3年3組の同窓会は本当に楽しかった。当たり前だが卒業から35年経って、みんな立派な大人になっていた。挨拶では啄木の短歌「わかれ来て年を重ねて年々に恋しくなれる君にしあるかな」を紹介した。別れた人への思いは年月が経てば経つほど大きくなる。
副担任をしてくださっていたF先生に15年ぶりに会えたのもうれしかった。
みんなからプレゼントされたプリザーブドフラワー(同窓会委員のIさんの手作り)を描く。




2017年10月29日
秋晴れの先週の木曜日、スケッチの先輩と新薬師寺へ。東側の道を描く。訪れる人が結構いたが、あの十二神将に惹かれてだろうか。
昨日はM中学校1期生3年3組の同窓会。35年前の教え子に会えて、懐かしくうれしかった。進路選択直前の1月17日に左脚が動かなくなって休むことになり多大な迷惑をかけた彼らだが、みんな元気そうで良かった。同窓会委員が企画してくれたクイズ等で大いに盛りあがり、3時間があっと言う間だった。雨の中、Tくん夫妻が家まで送ってくれた。





2017年9月18日
福島にいるBさんが今年も葡萄を送ってくれた。先月も桃を送ってくれたばかりなのに。有り難いことだ。新鮮で、甘く、味わいがあった。ロイヤルコペンハーゲンの皿に盛って描く。
Bさんは私が最初に勤めた学校の生徒だが、今日は次に勤めたM中一期生のMさんとラインでやりとりできた。彼女のメッセージから、人生にはいろんな事があるな、と改めて感じた。






2017年7月29日
 頭が大きいので子どもの頃からサイズの合う帽子を探すのに苦労してきた。友だちが好きな野球チームの帽子を被っているのに一人だけ大人用の地味な色の帽子を被っていた。
 憧れのパナマ帽子も被りたいのだが私の頭に合うのが無くあきらめてきた。ところが先日好きなブランドの店で「どうせ合わへんやろな」と思いながら試してみるとピッタリ!しかも本場エクアドル製。ちょっと高かったが、クロールで50m泳げるようになった自分へのプレゼントやと言い訳した。
 その帽子とロンドンの風景がデザインされているティーポットとカップのセットを描く。

2017年6月21日
いつも美味しい蕎麦を食べさせてもらっている蕎麦店のご主人が自宅の庭で育てられた枇杷を今年も沢山持って来てくださった。こないだお店にうかがった時に「快慶展」のチケットを頂いたところなのに。
このところ頂き物が続いている。いろんな物を頂けるのがありがたいのは勿論だが、私のような者の事を思いだし、気遣ってくれる人がいてくれるという事が心に沁みる。









2017年6月12日
昨日小さな絵を描いたら、外でスケッチしたくなったので、家から車で5分ほどの不退寺へ。
ずっと前に業平格子の本堂を描いたことがあるが、門が重要文化財とは知らなかった。いいアングルを探してウロウロしていると「そのポールは便利ですか?」と声をかけてきた人がいた。杖を使われているので私のポールに興味を持たれたようだった。
話をしていると大阪のある市の教育長をされていたとかで、私が知っているその市の先生の名前を告げるとよくご存知だった。なんかうれしい出会いだったので、気分よくスケッチ。ちょっと奥まった所にある寺だが、在原業平縁の寺だからかタクシーで乗り付ける参拝者も。



2017年6月11日
このところ気分が沈む事があって絵が描けていない、というか絵を描く気分になれないでいる。
そういう時こそ絵を描いて気分転換を、とずっと部屋に置いているイタリア製の釣りの人形を描く。
絵を描いていたら、気が沈む事ばかりではなく、うれしいこともあったと気付いた。
Aさんと短時間だが久しぶりに会えた。元気そうで良かった。
ピアノはジャズの醍醐味であるアドリブづくりに入った。「そんなんできんの?!」というのが実感だが先生は「できる!」と。
25m泳げたり泳げなかったりが続いていた水泳はやっと自信をもってクロールで25mを立ち止まらずに泳げるようになれた。1年以上かかったが、子どもの頃からの「クロールができない」というコンプレックスから解放された。
インストラクターの「息継ぎする時に天井を見るつもりで」というアドバイスのおかげだ。少し不自由な足のリハビリ目的に始めた水泳だから、出来なかったキックが少しずつ出来るようになってきたのもうれしい。












2017年4月16日
昨日、スケッチ教室で神戸へ。摩耶ケーブル駅近くにある桜のトンネルを描くということで、楽しみにしていたが、三宮からバスで30分ほどと遠いし、天気も怪しい。電車に乗っていると小雨が降ってきた。どうなるか、と思ったがポイントに着いた時には青空が見えた。
名残の桜はまさにトンネルという感じで空をおおっていた。坂道と桜、両方とも難しい画材で、どう描くか困ったが、先生に指導してもらってなんとか仕上げる。講評会は王子動物園近くの喫茶店で。
阪神の駅まで乗ったタクシーの運転手さんに親切にしてもらい、甲子園帰りの人で満員の電車でも若い女性に席を譲ってもらった。





2017年4月11日
好きな洋館と桜が描けると思い、大阪の泉布観へ。
コロニアル形式の瀟洒な館の前には桜が今を盛りに咲き誇り、大川沿いの桜並木も満開で銀橋がいつも以上に輝いて見えた。
「泉布」は貨幣を意味するそうで、造幣局の応接所として1871(明治4)年に建てられた。当時から水洗式トイレを備えていたというのには驚く。
描いていたらタイから新婚旅行に来たカップルが話しかけてくれた。年月が経ち、2人が新婚旅行を振り返る時、きっと満開の桜を想い浮かべるだろうな、と思いながら色を塗った。




2017年3月30日
昨日、スケッチの先輩お二人と今井町へ。ずっと前に一度スケッチしたことがあるが久しぶり。
今井町は16世紀に一向宗本願寺坊主の今井兵部豊寿によって形成された寺内町。現在も古い町家が軒を重ね、実際に住居として使用されている家が多いそうだ。この河合家は古くから酒造業を営んでいる。
本格的な春の到来を感じさせる暖かい陽光に恵まれ、気持ち良く描けた。








2017年3月19日
スケッチ教室で大阪へ。玉造カトリック教会聖マリア大聖堂は長方形の建物で装飾も多くないため絵にしにくいと思ったので、道をはさんだ所に座って電柱や歩いている人、自転車に乗っている人などを入れることにする。
大聖堂の近くに細川越中守の屋敷跡と伝えられている「越中井」が残されているからか大聖堂前には高山右近と細川ガラシア夫人の石像が立っている。
描いていると町歩きの情報発信活動をされているという男女3人連れが声をかけてくれた。頂いたパンフレットを見ると大阪の町歩きのポイントが素敵なイラスト入りで紹介されいて、スケッチしたいと思うところもあった。





2017年2月27日
友人に撮ってもらった発表会の動画を見ながら描く。発表会は2回目だが、前回と違って少しだけだが演奏を楽しむ事が出来たので自分では上出来だと思っている。









2017年2月26日
退職後に習い始めたピアノ教室の発表会が昨日、神戸であった。私はジャズのスタンダードナンバー「ウィスパーノット」を演奏し、先生や伴奏者のみなさんのお陰でなんとか最後まで弾き通す事が出来た。大学時代の友人夫妻が4人も聴きに来てくれたのは大きなプレッシャーだったが演奏が終わったら大きな喜びに変わった。頂いたフラワーアレンジメントを描く。






2017年1月30日
昨年末に浮見堂の横を通りかかった時、冬枯れの木立と浮見堂の取り合わせが心に残ったので、寒さのゆるんだ先週土曜日に出かけた。風がなく陽射しもあって絶好のスケッチ日和。何度も描いている浮見堂だが冬は初めて。
時折お客さんを乗せた人力車や散歩する人が通るぐらいで静かだったが、カリフォルニアから来たという若い男性が「Beautiful !」と声をかけてくれたので少し英語で話す。若草山の山焼きを見に来たのだろうか。枚方のご夫婦?も話しかけてくれた。水入れや絵の具、紙について尋ねはったので絵を描いてはるな、と感じたら、その通りでしばし絵談義を楽しんだ。





2017年1月22日
昨日、スケッチ教室で奈良少年刑務所の門を描く。この3月末で閉鎖されホテルになるとか報道されているためか見学者らしい人がいた。
陽射しがあったが時折風が吹いてちょっと寒かった。講評会をやる喫茶店が近くにないので拙宅に来てもらい、皆さんに熱いお茶を飲んでもらった。

昨年末から教え子との「新たな出会い」が続いているが、33年前の3年のクラスにいた2人の教え子が先週来てくれた。そのクラスを担任していた1月17日に左脚が動かなくなって入院手術をしたので、進路選択を目前にしたクラスのみんなには大変迷惑をかけた。
授業中笑いすぎて私に無視された事があるというIさんはウォーキングポールの専門家になっていた。リハビリの指導者に教えているそうで、私のために使いやすいポールを持って来てくれた。Kさんは33年間保存していたという卒業記念のレコードと私が手書きした学級通信を持って来てくれた。33年前の歌声を聴いたり、当時の写真を見たりする。同窓会委員である2人が中心になってクラスの同窓会を計画してくれるらしいのでとても楽しみ。
2016年12月31日
昨日はDくんの今年最終のレッスンだったが寒いので私の部屋で。Dくんはサンマリノ共和国にある世界遺産のグアイタの塔の写真を見ながら集中して描いていた。私はアドバイスをしながらシクラメンを描いた。
2016年も今日で終わる。この1年で心に残ったことは-
①M中同窓会での元生徒との「新たな出会い」②湖北への一泊旅行でのハプニングと鶏足寺の十一面観音との出会い③水泳にトライし苦手だったクロールで少し泳げるようになった④Sさんに担当してもらいリハビリが楽しくなった⑤安西水丸の展覧会
個人的にはいいことの方が良くないことより多かった気がするが、安保法制、原発、沖縄などを考えると、いい年だったとは言えない。











2016年11月30日
湖北へ一泊旅行。1日目は八日市でヴォーリーズ建築をスケッチして長浜の琵琶湖畔にある「紅鮎」へ。友人のTさんに教えてもらってからずっと訪ねたいと思っていた宿。通された部屋の大きな窓からは初冬の琵琶湖に浮かぶ島と水鳥の姿が見られ、その手前の柳の木のレースのような葉が逆光のためにシルエットになって美しかった。夕食は鴨鍋会席。
2日目は鶏足寺の十一面観音と対面。井上靖の『星と祭』を読んで湖北には十一面観音が多くあると知ったのはいつだったろう。渡岸寺の十一面観音を見に行き「これが一番」と思ってきたが、鶏足寺の観音を目にした瞬間、思わず手を合わせてしまった。こんな経験は初めてで自分でも驚いた。
昼は鯖素麺を食べ旧開知学校を小さな絵にする。


2016年11月24日
昨日は小6のDくんと奈良ホテルを描いた。ちょっと寒い日だったがいつも通りDくんは集中して描いていた。
先週末の3日間、長年勤めた市の退職教職員作品展に4点水彩画を出展した。会場に行くとUさんが「山中さん、この人があんたの絵を見て習いたい、と言うてはるよ」と教えてくれた。その人の絵を見せてもらうととてもお上手で私が教えることはないと感じたが、「習いたい」と言ってもらっただけでとてもうれしかった。卒業生がたくさん来てくれたこともうれしかった。絵を描いていて良かった、と改めて思った。





2016年11月7日
近所の人が我が家の前に植えてくれた柿の木が大きくなり、実をつけるまでになった。渋柿だが焼酎で処理したのをもらったので食べてみると味わいのある甘みがした。
今朝見てみるといい色になって葉っぱも紅葉していたので絵に描いてみた。
今年は寒くなるのが早いような気がする。








2016年10月31日
昨日は梅田で催されたM中学校4期生の同窓会に参加。テーブルの隣に座ったSさんが「授業で先生が話したことをずっと覚えていて、先生に会ったら話したいと思っていた」と言った。どんな事だろう、とドキドキしながら聴くと、私が授業で「人間は何のために生きるのか?」と尋ね、「幸せになるため」と話を続けたそうだ。
授業の始めにはすぐに授業内容に入らずに映画や音楽、本などについて話をするようにしていたが、その話は小説家の井上光晴の講演会で印象に残った話をそのまま生徒にしたのだ、とすぐに思い出した。30年以上前に私が話した事を忘れずにいてくれて、私に会ったら話したいと思っていてくれたとは、胸がいっぱいになった。
Sさんの話以外にも「教え子との新たな出会い」がいくつもあった同窓会を思い返しながらミニバラを描く。











2016年9月6日
毎年言っているような気がするが、今年の夏はことさら暑かった。そのため家に引きこもっていたので、すっかり出不精になり、8月は絵も1枚しか描いていない。友人のYさんは若いから暑い中でも屋久島や長野に旅行をし、その度にお土産をくれる。屋久島の醤油と焼酎、そして長野からはウィスキーのミニボトルとチョコレートなど。








2016年8月19日
数日前、在職中に会議などでよく利用したD市の市民会館に用事で出かけた。
用事を終えて玄関を出ると、一人の警備員さんが親しそうに声をかけてくれた。「おかしいな、ここの警備員さんに知り合いはいないはずだが・・・」と戸惑っていると、私が乗っていたローバー75を市民会館に駐めていた時に注目していたと教えてもらう。こっそり写真も撮ったとも。
しばらくローバー75の魅力について立ち話。あの車に乗っていたら、呼び止められ、写真を撮らせてと言われたり、「これ何という車ですか」と話しかけられたことが時々あった。車が好きな人には見過ごせない車だったのだと改めて思った。
2016年7月16日
祇園祭の宵山の日、スケッチ教室で暑い京都へ。京都女子大の前身である京都高等女学校の設立に尽力した大谷籌子の新居として建てられた錦華殿(2000年に再建)を描いた。南側のアールを描く屋根部分やバルコニー等は大正時代に建てられたとは思えないモダンなデザイン。
帰り、京都駅まで利用したタクシーを降りてすぐ、つまずいて工事のポールで顔を打った。唇が切れたようで血が出て、びっくり。どうしようと思う間もなく、小学生を連れたご夫婦が駆け寄って下さり、サッとポケットティシュを渡して下さった。親子3人に暖かい言葉をかけてもらい、ポケットティシュも袋ごと頂く。
傷口をもらったティシュでしばらく押さえていると出血は止まった。切れた唇の痛みは続いたが心持ちは親切にしてもらったうれしさで満たされていた。転けて怪我したのにうれしいというのは複雑な心境。



2016年7月2日
先週、京都伊勢丹でやっている安西水丸展に行って来た。ファンなので京都に向かう電車の中から胸がわくわくしていた。期待通りの展覧会で、ポスターやカラートーンを使ったイラストレーションをゆっくり楽しむ事が出来た。繋がっていない線、微妙なズレがなんとも言えない魅力を創りだしている。Yさんが教えてくれなかったら見逃していたかもしれない。見逃していたらきっと泣いていただろう。ミュージアムショップでは図録、ポスター、絵葉書、Tシャツなど、ほしいと思う物は全部買った。
今日描いたたばこの缶には安西水丸のイラストレーションが入っている。昔、義母がやっていた店で煙草を扱っていたので、店頭にあったのをもらったのだと思う。その頃は安西水丸の事は知らなかったはず。
昨夜は45年の付き合いになる友人2人と難波のミュウヘンでビールを飲んだ。定番の唐揚げは勿論美味かったが、隣のテーブルの人が食べていたのが美味しそうに見えて注文したビフカツサンドが気に入った。
3人とも一病息災という感じだが、それだけに時々会って話すひとときがとても貴重に思える。

2016年6月16日
昨日の朝7時過ぎに玄関のチャイムが鳴ったので、出てみると行きつけの蕎麦屋さんのご主人だった。庭になったという枇杷を箱一杯頂く。いつもならまだ寝ている時間だったが、用事があって起きていて、とても得をした気分になった。
子どもの頃、西瓜が苦手で食べない私のために母親が枇杷を用意してくれていたこともあって枇杷は大好き。母親が愛用していた赤絵の皿に盛って描く。



2016年5月17日
私がピアノを習っているからと、Hさんがピアノの形のパッケージに入ったチョコレートを送ってくださった。毎日練習していても思うように上達しないピアノだが、これからも楽しむことを大切にしてやっていこうと改めて思った。
県立美術館でやっている藤城清治展へ。4年前の展覧会で初めて作品を見た時に抱いた感動は大きく、同じ展覧会に2回行った。今回も大阪の町の巨大な作品など素晴らしかった。92歳になっても変わらない作成への姿に励まされた。




2016年4月25日
毎年カレンダーをプレゼントしているSさんは、お礼と言って手作りの野菜を年末に持って来てくださる。とても美味しい野菜でありがたく頂戴しているのだが、今朝は米袋いっぱいの筍を持って来てくれはった。聞けば、早朝に掘り出したのをすぐに届けてくれはったそうだ。茹でるための糠まで用意してくださっていた。
筍は好物の一つで天ぷら、わかたけ、木の芽和え、筍ご飯を食べると幸せを感じる。Sさん夫妻のご厚意とお心遣いに感謝してスケッチする。









2016年4月11日
8日、Mさんと久しぶりのスケッチレッスンで、興福寺の五重塔と東金堂を描く。何度描いても五重塔の形をとるのが難しい。
昨日は大学時代の友人3人と我が家で麻雀。名古屋のN,河内長野のY、伊丹のKとは45年以上の付き合い。みんな元気で集まれたことをまず喜ぶ。
麻雀の成績はいまいちだったが、昼に作ったカルボナーラとアスパラとベーコンのスパゲッティを「おいしい!」と言ってもらってうれしかった。









2016年3月7日
昨日は64歳の誕生日だった。
友だちやフェイスブックで交流している卒業生の皆さんからお祝いのメッセージをもらいうれしかった。
友だちの一人から「ビートルズにWhen I'm sixty-fourという曲があった」と知らされ、是非この日聴かなくては、と聴いてみた。
「今から何年も経って、僕の髪の毛が少なくなり、年をとっても、君はバレンタインや誕生日にワインをプレゼントしてくれるだろうか...僕が64歳になっても君は僕を必要とし、僕のために料理を作ってくれるだろうか...」というような歌詞。
私は若い時に自分が64歳になった時の事を考えたりはしなかったと思う。と言うか、考えてもきっと想像できなかっただろう。



















2015年12月6日
アパルトヘイトを体験した祖国南アフリカ共和国へ日本で捨てられていた車椅子を5000台以上修理して送る活動をしているトーマス・カンサさんと出会ったのはもう20年以上前。当時勤めていた中学校で人権教育の授業をしてもらい、その圧倒的な存在感と気さくな人柄に惹きつけられた。
それ以来、転勤した学校には必ず来てもらい、子どもたちに話をしてもらった。やんちゃな子どもたちも彼の話には聞き入っていたのが忘れられない。神戸や東北の震災時に、カンサさんはいち早く被災地に駆けつけ、ボランティアもしている。
そういう彼の活動を支援したいと、毎年カンパをしてきた。今年もわずかな「気持ち」を送ると最新刊の詩集(彼は詩人でもある)とこのキリンの置物が届いた。添えられていたカードには、ANY CHILD IS OUR CHILD というメッセージが記されていた。






















2015年11月8日
今年で10回目になるD市の退職教職員作品展に出品させてもらった。案内のはがきを元同僚など4人の人に出したら、4人とも来てくれはった。絵を描くだけでも楽しいが、それを見てもらい感想等を聞かせてもらうとより楽しく、時には幸せな気持ちになれる。
Sさんがプレゼントしてくれたブーケを描く。










2015年10月26日
旅の2日目は、まず正岡子規記念博物館へ。中学か高校の国語の教科書にあった子規の闘病しながらの歌作りの様子に驚いた事を思い出す。松山城へ行く途中で偶然「労研饅頭」の店の横を通ったので、2つ買って、ロープウェイで登ったお城の石垣をスケッチしながら食べる。
内子町へは1時間ほど。昼は下芳我邸の蕎麦屋で石臼挽きの蒸籠三段重ねを食べる。その後、是非描いてみたいと思っていた本芳我邸をスケッチ。明治時代に木蝋生産で財を成した豪商の屋敷で、鏝絵などの意匠が素晴らしい。
今夜の宿は「オーベルジュ内子」。和蝋燭の灯りだけで頂くフランス料理は地元の食材を活用し、味も驚くほど美味しかった。デザートを食べながらシェフさんとも少し話が出来た。






2015年10月25日
四国愛媛県の道後温泉と内子町へ2泊3日の旅行に出かける。15年以上前に出張で訪れて、是非再訪したいと思っていた所。
1日目は、しまなみ海道を通って四国へ。途中、生口島で平山郁夫美術館に寄り、駐車場のおじさんが勧めてくれた店で蛸飯を食べる。午後遅くに道後温泉に到着し、さっそく道後温泉本館をスケッチ。前回の訪問時に描いた時は失敗したので複雑な建物を慎重に描く。途中、近くの店の人や愛媛大学のインドネシアからの留学生が声をかけてくれて楽しかった。寒くなってきたので途中で引き上げる。名湯とおいしい料理と地酒を味わった後に絵を仕上げる。








2015年10月23日
京都国立博物館でやっている「琳派展」へ。本阿弥光悦作の国宝「舟橋蒔絵硯箱」を是非見たかった。あの時代にあの造形を創造することは正にアバンギャルド。宗達の絵と光悦の書のコラボ「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」も素晴らしく、好きな酒井抱一の作品も多く出ていて、「夏秋草図屏風」を再見出来たのもうれしかった。
四条河原町まで乗ったタクシーの運転手さんと絵や喫茶店の話で盛り上がった。イノダ本店、六曜社、フランソワ、ビックボーイ、マンホール、シャンクレール、蝶類図鑑、ブルーノートなど、京都で過ごした高校・大学時代によく通った。そういう喫茶店のいくつかはなくなってしまったが、今も健在な「築地」をスケッチ。この日は臨時休業で、店の前まで来て残念そうに立ち去る人が何人もいた。





2015年3月23日
安西水丸さんが亡くなって1年経った。Eテレの「日曜美術館」で特集したのを見て、また好きになった。村上春樹が愛猫ミューズを抱いて本を読んでいるイラストレーション(水丸さんは「イラスト」とは決して言わなかったらしい)を模写する。水丸さんはスノードームの収集家としても有名だが、歴史にも詳しい。有名な武将より4,5番目ぐらいの士が好きだったようだ。
私が憧れを持っていた池波正太郎、三國連太郎に続いて水丸さんも逝ってしまって、さみしい。













2015年3月3日
先月末には大学時代の友人3人が来宅し麻雀卓を囲んだ。私が作ったチャーシューを入れたラーメンをみんなが美味しいと食べてくれた昼食をはさみ、半荘を6回。ギャグ連発のY、ピンフ上がりに精を出すK、名古屋から予定の1時間前に着くほど入れ込んでいるNと楽しく過ごし、夜は天ぷらとさぬきうどんのひやひやを食べる。呑めば知り合った40年前に戻れるのがうれしい。
昨日は亡き両親が長年住まいした京都のマンションの片付けの3回目。物持ちがいい親で、私の小1から中3までの通知表が残されていた。両親が使っていた物を処分するのではなく、なるべく持ち帰って使うようにしようと兄姉と相談したので、大きい家具は無理だが、文机などを持ち帰る。
このイノダコーヒ(イノダの看板には「コーヒー」ではなく「コーヒ」と書いてある)の人形ももらってきたもの。両親は私が連れて行った木屋町の蕎麦屋「D」とともにイノダが気に入ったようで街に出かけた時には寄っていたようだ。




2014年11月23日
21日に西宮の甲子園口にある松山大学温山記念会館をスケッチさせて頂く。大学の設立に関わった新田長次郎氏の雅号にちなんだ名前のついたスパニッシュ風の建物と広大な庭に魅了され、いつか絵を描きたいと願っていた。大学にお願いすると許可していただき、閑静な住宅街にある庭に一人座って絵筆を握った。現在は大学のゼミナールなどに活用されているそうだ。
スケッチ後、大谷記念美術館で催されている四谷シモン人形展へ。初めて見る人形だったが、予想した通りの素晴らしさ。ポール・デルヴォーの絵の世界と共通するものを感じた。













2014年9月21日
昨日、神戸・摂津本山にあるジャズバーで開かれたピアノ発表会に出場。ジャズのスタンダードナンバー「マイファニーバレンタイン」をベース、ドラムスの伴奏付きで演奏。人前で弾くのも、伴奏付きで弾くのも初めてなので、どうなることかと思ったが、60歳過ぎたら怖いものなし、と自分に言い聞かせる。途中2回しどろもどろになるがなんとか目標にしていた最後まで弾き通すことが出来た。
この絵はリハーサルを終えてから、自分の演奏している姿を想像して描いたもの。緊張するので誰にも聴きに来てもらわないつもりだったが大学時代からの友だち2人が来てくれた。







2014年6月30日
義母の介護があるので旅行に行けない状態が続いていたが、やっと一泊旅行ができるようになった。友人が洋服を買った時の抽選で当たった旅館が良かったというので、知多半島の先端近くにあるその旅館に泊まることにする。知多半島を選んだもう一つの理由は、半田市に描きたい建物が2つあるから。旧中埜家住宅は現在修理中で外観さえ見ることができなかったが、カブトビール工場は絵にすることができた。1898(明治31)年に建てられ1943(昭和18)年までビールを醸造していた。設計は明治建築界の巨匠、妻木頼黄(つまきよりなか)。圧倒的な存在感を感じさせる。
旅館の檜の円形露天風呂と地酒「南吉の里」も気に入った。2日目に立ち寄った杉本健吉美術館にもカブトビール工場を描いた作品がいくつもあった。旅の最後に、名古屋熱田神宮近くのの「H」でひつまぶしを食べて帰る。




2014年6月23日
大阪の住吉大社近くにある400年続くという老舗池田屋本舗へ出向く。文化財の指定を受けている蔵造りの店の屋根に高燈籠がある独特の店構え。斜め向かいのソフトクリーム店の軒先をお借りする。途中で頂いたソフトクリームが美味しかった。
描き終えて、土産に名物の住乃江味噌を購入しようとしたら、ご主人が「絵を描いてもらったお礼や」とおっしゃってプレゼントしてくださった。
その日の夕食で早速頂く。ご飯の上に乗せて食べると深い味わいがあった。さすが大阪を代表する老舗の味と感嘆した。








 

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